い話のつづきを聞きたがった。
 大熊老人も、喜助少年も、こうして毎日を至極幸福に平和に暮していた。それは金銭問題を離れた、神か大愚かというような清浄な生活だった。このような泪ぐましい情景は、末永く二人の上に止っているように誰しもが祈りたいところであるが、筆者は文章を売るため心を鬼にして、ここに突如として降って湧いたようなカタストロフィーについて述べなければならない。

        二

 日頃元気な大熊老人が、一週間ほどこっちへ、どうも何だか気分がすぐれないと云って、床についた。
 老人が病床に横わると、即日といわず、即時から親戚の者共が大騒ぎを始めた。花を毎日取りかえる者があり、銀座裏の上方《かみがた》料理のうまい家から、凝りに凝った料理を作らせては老人にとどけるものもあった。何処からとりよせたか、果物の王様といわれるマンゴーの生々したのを老人の枕頭に供えるものもあった。日頃|健啖《けんたん》な大熊老人は、それ等の届けものの食料品を、とに角|一《ひ》と通りは味わってみるのであった。
 中には、老人の箸のつけ方が少かったといって悲観するものがあるやら、あの果物がすくなくとも五万円に
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