高く高く感じて、その都度、泪《なみだ》をホロホロ流して喜んだ。
喜助は幼にして両親を喪《うしな》い、叔父の家にひきとられて生長したのだったが、その叔父の久作《きゅうさく》の家というのが、大熊老人のお邸《やしき》へ出入りする花屋だった。その因縁から、喜助が大熊老人に知られるようになったのである。
喜助が小学校を卒業すると、大熊老人は彼を薬学校に入れた。喜助の成績は老人の期待を裏切って、上等とはゆかなかった。さりとて悪いというほどのところでもなかった。恐らく、それは喜助のお人よしに原因するところが多いのだろうと、老人は自ら安んじたことであった。学校を出た喜助は、老人の骨折で、理化学《りかがく》研究所へ入って、無機化学実験室の助手をつとめることになったのである。
彼は小石川の御殿町《ごてんまち》にある大熊邸門前の花久の二階から、毎朝テクテク歩いて、二十町もある理化学研究所に通った。夜は、毎晩のように老人の許を訪《おとな》い、彼がやって居る研究の話や、学界がどんな問題を持ってどんな方向へ動いてゆくかなど、老人には至極わかり憎い話をして聞かせるのであったが、老人は一向閉口しないで其の判らな
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