たくしが、初めて自分自身の消身現象に気がついたときの、あの戦慄《せんりつ》すべき思い出を語ろうと思う。
戦慄すべき思い出――などと書いたが、見掛《みか》けは、それほど戦慄すべき事件でもなかった。あれは一昨年の夏のことであったが、わたくしは勤めから戻って、一日の汗を、アパートのどろくさい共同風呂の中に洗いおとし、せいせいとした気持になって糊のかたくついた浴衣を身体にひっかけ、宵《よい》の新宿街の雑鬧《ざっとう》の中にさまよい出たのであった。どういうものか、人間というやつはすぐこうしたちぐはぐなことをやる。それはどうでもいいことだが、わたくしは、さんざん夜店をひやかし、あやしき横丁を残りなく廻りつくし、ニュース映画劇場を二つも見物し、挙句《あげく》の果は今はストックおん淋しきブラック・コーヒーを一杯とって、高速度カメラでとった映画の如く、いとも鄭重なるモーションでもって一口ずつ味わいくらべつつやったもんだから、時計の針は十時を指していたが、外へ出てみると、あの雑鬧の巷《ちまた》が人っ子一人いないというほどでもないが、形容詞としてはそれに近いさびれ方であって、真の時刻は十二時をしたたか廻っ
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