さしていらあ」
 艇夫長は、そういって、拳固《げんこ》のせなかで、赤い団子鼻《だんごばな》をごしごしとこすった。
 ぷう、ぷう、ぷう。
 知らない人がきいたら、このとき豚の仔《こ》がないたのかと思うだろう。しかしそのぷうぷうは豚の仔がないたのではなくて、艇夫長の鼻が鳴ったのであった。鼻をこすると、この奇妙な音がするのであった。
(これは、たいへん。艇夫長のごきげんが、きょうはたいへん悪いぞ!)
 三郎は、あわてて、パンツの中へ足をつきこんだ。あまりあわてたので、パンツの片方へ、足を二本ともつきこんだので、彼は身体の中心をうしなって、どすんと床《ゆか》にたおれた。たおれる拍子《ひょうし》に、そこにあった気密塗料《きみつとりょう》の缶をけとばしてしまった。缶は、横とびにとんで、艇夫長の向《む》こう脛《ずね》に、ごつんといやな音をたてて、ぶつかった。
「こらっ、なにをする」
 艇夫長は、顔をたちまち仁王《におう》さまのように、真ッ赤にして、缶をけりかえそうとした。が、とたんに足をとどめて、床から缶をひろいあげた。
「ああ、もったいないことをやるところだった。この一缶が、おれたちの生命《いのち
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