部の会議迄には一時間ほどの余裕があった。
「夫人、では一時間だけお伴をしましょう」
「えッ、行って下さる。まア嬉しいわ」夫人は少女のように雀躍《こおど》りしてよろこんだ。「そこに自動車が待たせてありますの、さあ、早く行きましょう」
 夫人が左手をあげて相図《あいず》をすると、路傍に眠っていた真黒なパッカードが、ゆらゆらとこちらへ近付いて来た。僕たちの乗った自動車は、真暗な商館街にヘッド・ライトを撒きちらしつつ走って行った。二十五番街へさしかかったとき、警告もなく、もう一台の自動車が、後から追いついて来て、いきなり窓と窓とを向いあわせて並列《へいれつ》疾走《しっそう》をはじめた。僕は腰のあたりに爆弾をうちつけられたような無気味《ぶきみ》な寒気に襲われた。もう三十秒これがつづいたならば僕は運転手を射殺しても、この車から外へ飛び出そうと決心した。
「劉夫人!」
 僕は夫人の両手を執《と》って、ひきよせた。恋の抱擁《ほうよう》と見せかけて、夫人をこの危急の際の仮の防禦物《ぼうぎょぶつ》にしなければならなかった。十秒十五秒――。向い合った自動車の窓がスルリと開く。
「呀《あ》ッ」
 叫んだのは劉
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