まい」
「貴方は、今晩はどうしてそう不機嫌なのです。さあ機嫌を直して、今夜こそは、妾のうちへ来て下さい。主人は今朝、北の方へ立ちました。一週間はかえってきますまい。さあこれから行きましょう。ネ、いいでしょう井東《いとう》さん。絹子の命をかけてお願いしてよ」
 このしつっこい色情《しきじょう》夫人《ふじん》には、もう三十日あまりも纏《まと》いつかれていた。僕のような肺病やみのどこがよくて誘われるのであろうかと不審にたえない。しかし神経的に考えてみれば思い当らぬところがないでもないので、それは多分|色道《しきどう》の飽食者《ほうしょくしゃ》である夫人が僕の変質に興味を持っているのであるか、それとも、ひょっとすると、同志林田の指摘したように僕の身辺《しんぺん》を覘《ねら》う一派の傀儡《かいらい》で、古い手だが、色仕掛けというやつかも知れない。もしそうだとすると、この劉夫人は容易に僕から離れては呉《く》れないだろう。だが夫人にあまり附きまとわれては、こっちの仕事が一向にすすまなくなるわけだ。こいつは高飛車《たかびしゃ》に出て、一遍で夫人を追い払うのがいいと思った。幸《さいわ》い、今夜の海龍倶楽
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