から、この車を鳥渡《ちょっと》拝借《はいしゃく》したい」と中国人は丁寧に、だが圧《お》しつけるような口の利き方をした。
「失礼な! お断りします」夫人は負けてはいなかった。
「どうかお許し下さい、劉夫人、病人は唯今手当をしませんと、手遅れになりますから」
劉夫人と名をさされて、夫人の態度がちょっとかわった。
「お前はだれだい。病人は何処《どこ》の人だい」夫人が、俄《にわ》かに伝法《でんぽう》な言葉を吐いた。
「やんごとないお方でございます。私は現場から、電話をうけとったものです。おお、御病人の担架《たんか》が見えました」
なるほど、いつの間にか、十名ばかりの中国人や西洋人が一つの担架を守って、車外にかたまっていた。だが彼等の誰もが、自動車の存在などに気がつかないかのように、顔をそむけていた。僕は、夫人が、その負傷者に充分心を引かれているのを見抜いたので、別れるのは今だと思った。しずかに挨拶《あいさつ》すると、夫人は気の毒そうな顔をして、
「明日は是非おいで下さい」
「もし命がございましたら」そう言って僕は大胆に夫人の頸《くび》を抱えてその唇を求めた。そのとき僕の右手は、夫人の左の手
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