マイクロフォン」
「ちょっと待ってくれたまえ」と帆村が手をあげた。
「するとこの人造人間はどうすれば動くかといえば、結局このマイクに何か信号音を送ってやればいいのだネ」
「まあ今のところ、機械の接続はそうなっていますね」
「ハハア――すると、どんな信号音を送ってやれば、どんな風に動くかという人造人間操縦信号簿といったようなものがなければならぬ。さあ皆さん。その辺を探してみて下さい」
「よオし、人造人間操縦信号薄か。――」
 そこで係官の指揮で、刑事たちは一勢に部屋の中を宝捜しのように匍《は》いまわった。
「あッ、これじゃないかなア」
 一人の刑事が、機械戸棚と後の壁との間に落ちこんでいる一冊の薄い帳面をみつけて摘《つま》みだした。
 その帳面の表紙には「ロボットQ型8号の暗号表」と認《したた》めてあった。
「うむ、Q型8号とは、この人造人間ですよ。ホラ、その鉄枠《てつわく》の上にペンキで書いてある」
 係官は、その暗号表を引張りあいながら覗《のぞ》きこんだ。
「ほうほう、荒天――首ヲ左ニ曲ゲル。魚雷――首ヲ前後ニ振ル。なるほど、いろんな暗号が書いてあるぞ。偵察――『時間ガ来タ』ト発言スル。滑走――膝ヲ折ル。……これでみると、人造人間を動かす号令は、短かい単語ばかりだ」
「これを見ると、号令単語は四、五十もありますね」
「オヤ、これはおかしい。どうも変だと思ったら、暗号表が一枚、ひき破られているよ。うむ、これは重大な発見だ。おい皆、破れた暗号表の一枚を探してみろ」
 刑事たちは課長の命令で、再びその辺を丹念に捜してみた。しかし彼等はついにそれを捜しあてることができなかった。
「どうも、ないようですよ」
「そうか。ウム、よしよし。それで分ったぞ。やっぱりこれは人造人間に霊魂があったわけでなく、やっぱり生きている人間が、この人造人間を示唆《しさ》したのだ。犯人はその暗号表を持っているのに相違ない」
 大江山課長は、決然と云い切った。
 とにかく博士の居るこの部屋で、誰かが人造人間に号令をかけたのに相違ない。それが誰だか分れば、この事件は解決するのであった。さあ、誰がこの部屋に入って、号令することが出来るか。
 ウララ夫人であろうか。馬詰丈太郎だろうか。または怪外人ジョン・マクレオ医師であろうか。それとも外の人物だろうか。
 ばあやにつき調べてみると、博士はいつも七時から七時半までを夕食の時間にあて、それが済むと一服の睡眠剤をのみ、今博士の死体が横たわっているベッドにもぐりこんで九時半まで丁度二時間というものを熟睡して、その後深夜に続く研究の精力を貯《たくわ》えるのが習慣になっているそうである。
 すると今夜も博士の夕食後の睡眠中に、何者かがこの部屋に忍びよって、人造人間の前に死の呪文《じゅもん》を唱《とな》えたに違いない。博士殺害の手段は、ようやく朧気《おぼろげ》ながらも見当がついて来た。
「さあ、誰が号令したのだろう」
 係官は鳩首《きゅうしゅ》協議した。
「この上は、関係者を全部検挙して、そのアリバイを確かめるより外ありませんネ」
 と大江山は云った。
 そのとき帆村探偵は、部屋の片隅に腰を下して、例の暗号表を幾度も熱心に読みかえしていた。


     5


 その翌日の午後、帆村探偵は雁金検事のもとへ電話をかけた。
「いやあ、昨日はどうも、いかがです、博士殺しの犯人は決まりましたか」
「ウン、決ったとまでは行かないんだが、重大なる容疑者を捕《つかま》えて、今盛んに大江山君が訊問《じんもん》している」
「それは誰ですか」
「ウララ夫人だよ」
「えッウララ夫人? 夫人はとうとう捕ったのですか。どこに居たのですか」
「なあにサンタマリア病院に入院していたのだよ。別に大した病気でもないのだがネ」
「するとあのジョン・マクレオは怪しくないのですか」
「マクレオは午後二時から午後九時半までずっと病院にいたことが分った。あの外人の現場不在証明《アリバイ》は完全だ」
「そうですか。馬話丈太郎も完全なのでしょう」
「そうだ。あの男は放送局に居たことが証明された。結局残るのはウララ夫人と、耳の聞えないばあやの二人た。ばあやはウララ夫人が外出から帰ってのち、使いに山の手までやられたのだが、その足で警察へ駈けこんだ。ばあやは博士が殺害されるとき、あの家に居たことは疑う余地がない。しかしばあやは口がきけない。犯人がもし人造人間に号令をかけたものとすればばあやは犯人であり得ない」
「なるほど、するといよいよウララ夫人という順番ですかネ。ウララ夫人の帰宅と、博士の殺害と、どっちが早いのですか」
「さあ、それが判然しない。君も知っている通り死体検索から死期が推定されるが、二十分や三十分のところは、どうもハッキリしないのでネ。……とにかく大江山君もウララ夫人の剛情《ごうじょう》なのには参ったといって滾《こぼ》しているよ」
「どうも僕には、夫人が博士を殺したような気がしないのですよ。夫人はあの外人と、密《ひそ》かな邪恋《じゃれん》に酔っていたでしょうが、いまのところ博士は無能力者であり、自分は誰にも邪魔されず研究していられりゃいいのであって、その点、妻君の自由行動をすこしも遮《さまた》げていないのです。そのウララ夫人が急に博士を殺すとは考えられませんね」
「オヤオヤ、君も反対論を唱えるんだネ」
「ほう、すると外にも反対論者が居るのですか」
「そうなんだよ。私もそのお仲間だ。私はむしろジョンの行動に疑念をもつ。なにかこう近代科学をうまく利用して、サンタマリア病院に居ながら、五、六丁はなれたところに住んでいる竹田博士を殺害する手はないものかネ。私はこの点、君の応援を切に望むものなんだよ」
 帆村は雁金検事の突飛《とっぴ》な思いつきを訊いてギクリとした。さすがは歴代検事のうちで、バケモノという異称を奉《たてまつ》られ、人間ばなれのした智能を持った主《あるじ》と畏敬《いけい》せられている彼だけあって、その透徹した考え方には愕くのほかない。たとえそれが科学的に実行できないことにしろ、彼の鋭い判断にはブツリと心臓を刺されるの想いがあった。
 帆村探偵は、かえす言葉もなく、電話を切った。
 考えてみると、まことに残念でもあり、奇怪な事件である。彼は時計を見た。丁度午後二時である。彼は昨夜の現場へ再び行ってみることにした。
 河岸《かし》ぶちの博士邸をめぐって、どこから集ったのか弥次馬が蝟集《いしゅう》していた。彼等の重《かさな》りあった背中を分けてゆくのにひと苦労をしなければならなかった。
 邸内の警戒は、昨夜よりも厳重を極《きわ》めていた。彼は見知りごしの警官に挨拶をして、三階の広間へトントンと上っていった。
「ほう、君はまだ非番にならないかネ」
 と、帆村は昨夜から顔を見せている警官に云った。
「駄目なんですよ。私が最初にここへ来たものですから、現場を動けないことになっています。もっともときどき交代で、下へ行って寝て来ますがネ。お得意の手で早く犯人を決めて下さいよ、ねえ帆村さん」
「ウフ、そのお得意のお呪《まじな》いをするために、こうしてやって来たわけなんだよ。だが、どうも人殺しのあった部屋というのは、急に陰気に見えていけないネ。なんとこれは……」
 といっているとき、――そのときだった。突然大きな声が、部屋中に鳴りひびいた。
「ええ、後場《ごば》の市況《しきょう》でございます。新鐘《しんかね》……」と、細い数字が高らかに読みあげられていった。それはラジオの経済市況に外《ほか》ならなかった。
「――君、ラジオの経済市況なんかで、寂しいのを紛《まぎ》らしているのかネ」
 警官はムッとした顔つきで、
「じょ、冗談じゃありませんよ、帆村さん。経済市況で亡霊《ぼうれい》を払いのけることができるものですか。このラジオは勝手に鳴っているんです。とても騒々《そうぞう》しいので、私はむしろ停めたいのですけれど、課長からすべて現状維持とし、何ものにも手をつけるなというので、その儘《まま》にしてあるんですよ」
「えッ、現状維持を――するとラジオは昨夜《ゆうべ》から懸《か》けっ放《ぱな》しになっていたのか。しかし変だなア、昨夜ここへ来たときは、ラジオは鳴っていなかったが……」
「それはそうですよ。貴方がたのお見えになったのは、もう十時ちかくでしたものネ。ミナサン、ゴキゲンヨクオヤスミナサイマセを云ったあとですよ。私は今朝|睡《ねむ》いところを、午前六時のラジオ体操に起され、それからこっちずうっとラジオのドラ声に悩まされているのですよ。御親切があるのなら、課長に電話をかけて下すって、ラジオのスイッチをひねることを許してもらって下さいよ」
「そうか。そいつは素敵な考えだッ」
「ええ、スイッチをひねることが、どうしてそんなに素敵だというんですか」
 と警官は愕きの目を瞠《みは》った。
 帆村はそれには答えず、帽子をつかむと、その部屋を飛びだした。警官は後を見送り、
「ああ帆村さんもいい人なんだが、どうもちとここのところへ来ているようだよ。可哀想に」
 と、耳の上を人指し指で抑《おさ》えた。
 それから十五分ほど経った。
 博士邸の門前は、にわかに騒がしくなった。警官が硝子《ガラス》窓から下を覗《のぞ》いてみると、雁金検事や大江山捜査課長などのお歴々がゾロゾロ自動車から降りてくるところが見えた。
「おやおや、また連盟会議か」
 一行は階段をドヤドヤと上って来た。
「どうした、帆村君は。まだ放送局から帰って来ないかネ」
「ええ、放送局ですって。……別に放送局へ行くともなんとも聞きませんでしたが」
「おおそうか。まあいい。そうかそうか」
 一行は、なんだか嬉しそうな顔をして、時刻のたつのを待っているという様子だった。
 帆村が再び姿を現わしたのは、それからなお三十分ほどして後のことだった。彼は右手に藁半紙を綴《と》じたパンフレットのようなものを大事そうに持っていた。
「やあ皆さん、お待たせしました。やっと一部だけ見つけてきましたよ。文芸部長の書類籠の中にあったやつを貰《もら》ってきたんです」
 といって、そのパンフレットを目の上にさしあげた。
 一同は呆気《あっけ》にとられている形だった。
「――さあいいですか。表状を読みますよ。十一月十一日AK第一放送、午後八時より同三十分まで、ラジオドラマ『空襲葬送曲』原作並《ならび》に演出、馬詰丈太郎――とネ。これは全国中継です」
 といって彼は、パンフレットの頁《ページ》を一枚めくった。
「いよいよこれから実験にかかりますが、皆さんこっちに寄っていて下さい。それから博士の死体のあった寝台の上には、誰方《どなた》かオーバーと帽子を置いて下さい」
 雁金検事のオーバーと、大江山課長の制帽とが、白布《しろぬの》を蔽《おお》った空寝台の上に並べて置かれた。それは竹田博士の死体と同じ位置に置かれたことはいうまでもない。一行はこれから何事が起るかと、唾《つば》をのんで、帆村の一挙一動に目をとめた。
「さて――これから、ラジオドラマの台本《だいほん》を読んでゆきます。なにごとが起っても、どうかお愕《おどろ》きにならぬように」
 そういって彼は、部屋の真中に突立って、大声で読みあげていった。見ていると彼はそれを函《はこ》の中の人造人間に読み聞かせている様であった。然し鋼鉄人間はピクンとも動かない。
 帆村はジェスチュア交《まじ》りで、一語一句をハッキリ読みあげていった。彼は昔、脚本朗読会に加わっていたことがあったとかで、なかなかうまいものだった。
 一座はシーンとして、東京が敵国の爆撃機隊に襲撃されるくだりを聞き惚《ほ》れていた。すると第一場第二場は終って、次に第三場を迎えた。それは太平洋上に於ける両国艦隊の決戦の場面であった。
「太平洋上、決戦ハ迫ル――」と帆村は高らかに叫んだ。
「西風《せいふう》ガ一トキワ強クナッテキタ――」
 と地《じ》の文章を読む。これは昨夜《ゆうべ》、千葉早智子がたいへん気取って読んだところだ。
「……海面ハ次第ニ浪立ッテキタ」

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