「呀《あ》ッ! 血だ、血だッ。人造人間の拳《こぶし》に、血が一杯ついている!」


     3


 帆村の愕きの声に、係官の一行は、函に入った人造人間の前にドヤドヤと集ってきた。
「ナニ血がついているって。おおこれはひどい」
「やあ、函の底にも、血痕が垂《た》れている。おう、ちょっと函の前を皆、どいたどいた」
 血痕と聞いて、一同、爪先《つまさき》だって左右にサッと分れた。
「ホラホラ。ここにもある、ウム、そこにもある。血痕がズーッと続いているぞ」
「なアんだ、寝台のところまで、血痕がつながっているじゃないか。すると、――」
「すると、この人造人間めが、博士を殺《や》ったことになる……のかなア」
「えッ、この人造人間が殺害犯人とは……」
 一同は慄然《りつぜん》としてその場に立ち竦《すく》み、この不気味な鋼鉄の怪物をこわごわ見やった。人造人間は、ピクリとも動かなかった。しかしまた、今にも一声ウオーッと怒号《どごう》して、函の中から躍り出しそうな気配にも見えた。
「皆さんはまさか、こんな鋼鉄機械が一人前の霊魂を持っていると決議なさるわけじゃありますまいネ」
 と、帆村が横合《よこあい》から口を出した。
「さあ、そこまで考えているわけじゃないが、とにかくこの人造人間の右の拳には博士の顔を粉砕したかもしれない証跡《しょうせき》が歴然と残っている」
 と検事は云った。
「こいつが生きている人間だったら」と大江山課長は人造人間を指《ゆびさ》していった。
「私は躊躇《ちゅうちょ》なく、こいつを逮捕しますがネ。しかし真逆《まさか》……」
「そうだ。だからわれわれは、この人造人間が博士を殺害してこの函の中に入ったまでの運動をなしとげたことを証明できればよいのだ。だがこの人造人間が果して動くものやら動かないものやらわれわれには一向分っていない」
「なアに雁金さん。こいつが動くことだけは確かですよ。今こいつの腹の中では、機械がしきりにゴトゴト廻っているのですよ。誰かこの人造人間に命令することができればいいのです。見わたしたところ貴官など最も適任のように心得ますが、一つ勇しい号令をかけてみられては如何ですか」
 と帆村は手を前にのばした。
 雁金検事は、すぐ顔の前で手をふった。
 そのとき大江山課長が進みでて、
「こういつまでも、訳のわからない機械を相手にしていたのでは始まりませんから、いつもの手口の方から調べてゆきたいと思いますが、いかがでしょう」
「それもいいですね」と検事が同意した。
「そうなると、まずこの家の家族なんですが、夫人のウララ子が見えません。ばあやのお峰というのは、この事件を知らせて来たので、いま警察に保護してあります。ばあやは耳がきこえないのですが、夫人が外出先から帰ってきたので、お茶を持って上ってきたときに、夫人が入っていたこの部屋の中で惨劇《さんげき》をチラリと見たのだそうです」
「ウララ夫人は、いつ帰宅したんですか」
「ばあやの話によると、今夜八時をすこし廻ったときだったといいます」
「すると博士が死体となった鑑識時刻とあまり違わないネ。その夫人が、今家に居ないし、警察へ届出もしないというのはどうもおかしい」
 と検事は首を傾《かし》げた。帆村はそれを聞いていて、なるほどさっきのあれ[#「あれ」に傍点]がそうだなと肯《うなず》いた。
「もう一人、この家によく出入りしている人物が居るのです。それは戸口調査で分っているのですが、馬詰丈太郎《まづめじょうたろう》といって、博士の甥《おい》に当る男です。彼は一ヶ月前まではこの家の中に同居していたんだが、今は出て五反田《こたんだ》附近のアパートに住んでいます」
「その甥の馬詰というのにもなにか嫌疑《けんぎ》を懸けることがあるのかネ」と検事はたずねた。
「彼は亡《なくな》った博士の助手をして、永くこの部屋に働いていたのです。しかしどっちかというと、彼は怠け者で、いつも博士からこっぴどく叱られていたということです。これもばあやのお峰の話なんですがネ。そして彼が博士の家を出るようになった訳は、どうもウララ夫人によこしまな恋慕《れんぼ》をしたためだという話です」
「なるほど、そいつは容疑者のうちに加えておいていいネ」
 そういっているところへ、階下から一名の警官がアタフタと上ってきた。そして一同の前にキチンと姿勢を正して披露した。
「只今、馬詰丈太郎が門前を徘徊《はいかい》して居りましたので、引捕えてございます」
「おおそれは丁度いい。早速《さっそく》その軟派の甥を調べてみようと思いますが、如何で……」
 そういう大江山の言葉を、雁金検事はすぐに同意した。


     4


 やがて博士の甥の丈太郎が、警官に護られて、階段の下から姿を現わした。彼は気障《きざ》ではあるが思いの外キチンとした服装をしている瘠《や》せ型の青年だった。
 丈太郎は伯父の死体を見ると、ハラハラと泪《なみだ》を滾《こぼ》した。そして後をふりかえって係官の前にツカツカと進むより、ヒステリックな声で喚《わめ》きたてた。
「だ、誰が、この善良なる伯父を殺したのです。ああ僕が心配していた事が到頭《とうとう》事実になって現れたのです。だから僕は伯父さんの所から出てゆくのに気が進まなかったんです。さあ、早く犯人を逮捕して下さい」
 検事と課長とは、ちょっと顔を見合せた。
「オイ丈太郎。君はなかなか芝居がうまいようだが、その手に乗るようなわれわれでないぞ」
 と、大江山は一喝をくらわせた。
「なにが芝居です。そんなことを云う遑《ひま》があったら、なぜ貴方がたはもっと大局に目を濺《そそ》がないのです。貴方がたの不注意で、いま国家のために懸けがえのない人造人間研究家が殺害されたのです。国家の大なる損失です。伯父に匹敵《ひってき》する研究家が、わが国に一人でも居ると思うのですか」
 これには大江山も参ってしまった。かねがね竹田博士の身辺を保護する必要のあることを考えないではなかった。しかしいろいろな手不足のため、心配していながらも、博士の保護を実践しなかったことは確かに手落《ておち》である。
 大江山が敗色濃いのを見てとって、雁金検事が代って丈太郎にたずねた。
「すると君は、外国のスパイかなんかのことを云っているようだが、なにかそんな話を知っているのかネ」
「そんな話は、こっちで伺《うかが》いたいくらいのものですよ。しかし私だって、すこしは気がついていますよ。この向うのサンタマリア病院の内科医ジョン・マクレオなんざ、ずいぶん奇怪な行動をしているじゃありませんか。僕は向うの国の興信録をしらべてみましたが、医者としてマクレオの名なんか見当りませんよ。それにあいつの目の鋭いことはどうです。彼奴《あいつ》は物差《ものさし》こそ持っていないが、ひと目|睨《にら》めば大砲の寸法も分っちまうという目測《もくそく》の大家に違いありませんよ。あんな奴が、帝都の白昼を悠々歩いているなんざ、全く愕きますよ」
(そうか。あのジョン・マクレオという内科医が、そうなのか)と帆村は胸の中《うち》で自ら問い自ら答えた。それこそ、今夜、あの病院の玄関でウララ夫人を擁《よう》していた男に違いない。
 検事はそこでギロリと眼を光らせ、傍に馬のような荒い鼻息をたてている帯広警部の太い腹をついて云った。
「――サンタマリア病院のジョン・マクレオだ。現場不在証明《アリバイ》を調べること」
 警部は返事の代りに、お尻のポケットから手帖を出して書きこんだ。
 馬詰丈太郎は煙草《たばこ》を一本口にくわえて、いささか得意げであった。
「オイ馬詰」と突然叫んだのは大江山捜査課長であった。
「他人の話なんか、お前に聞かされないでもいいんだ。それよりお前の現場不在証明《アリバイ》を聞こうじゃないか。博士の殺害された今夜の八時前後、お前は一体何処にいたんだ。それを云え」
「私が何処にいたというのですか、折角《せっかく》ですが、それは別に御参考にはなりませんよ」
 と丈太郎は自信たっぷりだった。
「くわしくいうと、私は今夜七時三十分から八時五十分までJOAKにいましたよ」
「なんだ放送局にか。そこで何をしていたんだ」
「なにって……」と彼は答えるのをやめて、煙草を口に持っていって美味《おいし》そうに喫《す》った。
「AKの文芸部に訊《き》いてごらんになれば分りますよ。つまり早くいうと、私の書いたラジオドラマが今夜八時から三十分間、放送されたのです。出演者はPCLの連中でしたがネ。そんなわけで私はずっとAKのスタディオにつめていたんです。なんなら貰って来た原作ならびに演出料の袋をお目にかけてもいいのですが」
「あああの『空襲葬送曲』というやつですネ」
 と帆村が横合《よこあい》から口を出した。
「そうです。お聞き下さったですか」
「ええ聞きましたよ。なかなか面白かったですよ。あの地の文章を読んでいたのは、千葉早智子《ちばさちこ》ですか」
「ええええそうです。どうかしましたか」
「いや、今夜はお早智女史、いやに雄壮な声を出していましたネ」
「それはそうでしょう。戦争ものですからネ。緊張するのも無理はありません」
 二人は事件をそっちのけにして、ラジオドラマの話に熱中していた。
 こっちでは大江山課長が雁金検事の前に近づいていった。
「ウララ夫人を早く捜しださにゃいけませんネ。一度外から帰って来て、死んでいる博士をそのままにして外へ出たという行動は腑《ふ》に落ちませんネ。警察とか医師とかにすぐ電話すべきが本当ですからネ」
「君、あの留守番のばあやは大丈夫かネ」
「あああれは大丈夫ですよ。老人なんで、なにが出来るものですか」
「しかし君、人造人間が博士を殺したことが分れば、そんな生きた人間を調べても何にもならんじゃないか」
「いや、人造人間に霊魂がない限り、これは生きた人間の仕業《しわざ》に違いありませんよ」
「うん、この点をハッキリしたいんだがネ、どうも機械というやつは、苦手《にがて》だ。この人造人間がどうして動くかということがハッキリ分るといいんだが。そうだ、帆村に調べさせよう」
「それがいいですね」
 そこで帆村が呼ばれて、この人造人間はどうして動くかを調べるように命ぜられた。
「さあ僕にも、まだ分ってはいないが、馬詰丈太郎氏は、博士の助手を永らくしていたというから、一つ訊いてみましょう」
 帆村は馬詰をつれて、人造人間の前へいった。そしてどうすれば動くかと訊《たず》ねた。
「そうですね。僕はこの新型の人造人間については知らないんだが、一つ中を開けて見てみましょう」
 そういって彼は物慣れた手つきでドライバーを手にとり、人造人間の胴中をしめつけている鉄扉《てっぴ》のネジを外《はず》していった。間もなく人造人間の膓《はらわた》が露出した。膓といっても人造人間のことだから細々《こまごま》とした機械がギッシリ詰っていて、その間を赤青黄紫と色とりどりの紐線《ひもせん》が縦横無尽に引張りまわされているのであった。なんという複雑な構造だろう。竹田博士の素晴しい脳力のほどがハッキリ窺《うかが》われるような気がした。ことに帆村たちの注意を引いたものは、下腹部に置かれた電池からの放電により、心臓部附近に小さい赤電球と青電球とがチカチカと代り番に点滅し、そして大小いくつかの歯車が、ギリギリギリと精確に廻転している光景だった。霊魂はないにしても、この機械人間の心臓も肺臓も、まさにチャンと活動しているのであった。
「――こっちが増幅器で、こっちが継電器ですよ」と馬詰はドライバーの先で機械を指《ゆびさ》した。
「これが身体を直立させるジャイロです。こっちが腕を動かす電磁石《でんじせき》装置。こっちのが脚の方です。左右二つに分れていますでしょう。首の方もついでに解剖してみましょう」
 馬詰は医学者のようにいとも無造作に、人造人間の鉄仮面を剥《は》ぎとった。
「ほら、これが口の代りになる高声器です。ほほう、この人造人間は目が見えませんよ。光電管がついていますけれど、電線が外れています。これが耳の働きをする
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