人造人間事件
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)築地《つきじ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)理学士|帆村荘六《ほむらそうろく》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)さっきのあれ[#「あれ」に傍点]
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1
理学士|帆村荘六《ほむらそうろく》は、築地《つきじ》の夜を散歩するのがことに好きだった。
その夜も、彼はただ一人で、冷い秋雨《あきさめ》にそぼ濡れながら、明石町《あかしちょう》の河岸《かし》から新富町《しんとみちょう》の濠端《ほりばた》へ向けてブラブラ歩いていた。暗い雨空《あまぞら》を見あげると、天国の塔のように高いサンタマリア病院の白堊《はくあ》ビルがクッキリと暗闇に聳《そび》えたっているのが見えた。このあたりには今も明治時代の異国情調が漂っていて、ときによると彼自身が古い錦絵《にしきえ》の人物であるような錯覚《さっかく》さえ起るのであった。
通りかかった火の番小屋の中から、疳高《かんだか》い浪花節《なにわぶし》の放送が洩《も》れてきた。声はたいへん歪《ゆが》んでいるけれど、正《まさ》しく蒼竜斎膝丸《そうりゅうさいひざまる》の「乃木将軍墓参《のぎしょうぐんぼさん》の旅」である。時計の針は九時を廻って、九時半の方に近づきつつあるものらしい。さっき喫茶店リラで紅茶を啜《すす》っていたときには、八時からの演芸放送のトップとして、ラジオドラマ「空襲葬送曲《くうしゅうそうそうきょく》」が始まったばかりのところだったが。
葬送曲だの墓参だのと不吉《ふきつ》なものばかり並べて、放送局も今夜はなんという智慧のないプログラムを作ったのだろう。然《しか》し不吉なものが盛んに目につく時は、その源の必ず大きな不吉が存在しているものだ。帆村はそれを思ってドキンとした。
(――なにか、血腥《ちなまぐさ》い事件が起ったのだろう。殺人事件か、それとも戦争か)
さっき喫茶店リラで、紅茶を啜りながら聴くともなしに聴いたラジオドラマは、将来戦を演出しているものだった。東京市民は空襲警報にしきりと脅《おび》え、太平洋では彼我《ひが》の海戦部隊が微妙なる戦機を狙っているという場面であった。戦争は果して起るのであろうか。
帆村理学士は濠端に出た。冷い風が横合からサッと吹いてきた。彼はレーンコートの襟《えり》をしっかり掻きあわせ、サンタマリア病院の建物について曲った。
病院の大玄関は、火葬炉の前戸《まえど》のように厳《いか》めしく静まりかえり、何処かにシャーリー・テンプルに似た顔の天使の微《かす》かな寝息が聞えてくるような気がした。道傍《みちばた》には盗んでゆかれそうな街灯がポツンと立っていて、しっぽり濡れたアスファルトの舗道に、黄色い灯影《ほかげ》を落としていた。
そのときだった。一台の自動車が背後の方から勢よく疾走してきた。帆村は泥しぶきをかけられることを恐れて、ツと身体を病院の玄関脇によせた。
すると自動車は、途端にスピードを落として、病院の玄関前にピタリと停った。彼は見た。自動車の中には、中腰になって、洋装の凄艶《せいえん》なマダムとも令嬢とも判別しがたい美女が乗っていた。しかしなんという真青《まっさお》な顔だ。
「うむ、なにかあったな」
帆村はドキンとした。
女は濃いグリーンの長いオーヴァを着ていた。車を返すと、非常に気がせくらしく、受付の呼鈴《よびりん》にとびつくようにして釦《ボタン》を押した。
「ハロー、ウララさん。いまごろどうしましたか」
突然奥の方から外国なまりのある男の声がした。見ると丁度このとき、病院の中から一人の若い西洋人が医師の持つ大きな鞄《かばん》を抱えて現れた。
「おおジョン。まあよかった。あたし、貴方に会いにきたところよ。とっても大変なことが起ったわよ」
「大変なこと? 大変というとどんな大変ですか」
「今家に帰ってみるとあの人が死んでいるのよ。あたしどうしましょう」
「おう、あの人が――あの人が死にましたか。私、すぐ診察に行きましょうか」
「診察ですって、まあ。そんなことをしてももう駄目ですわ。あの人の頭は石榴《ざくろ》のように割れているんですもの」
「石榴というと」
「滅茶滅茶《めちゃめちゃ》になって、真赤なんです。トマトを石で潰したように……」
「おおそれは大変! どんな訳で、そんなひどい怪我をしたのですか」
「どうしてですって」女は意外だという面持で、外人の顔を見上げた。
「……貴郎《あなた》の御存知ないことを、どうしてあたしが知っているものですか」
と声をおとした。
ジョンと呼ばれる外人は、ずり落ちそうになった折鞄を抱えなおした。
「ウララさん。もしやあの人は、何者かに殺されたのではないのですか」
「まあ……」と女は愕《おどろ》いて「もちろん殺されたに違いありませんわ。あたし、これからどうしましょう」
ジョンは黙って立っていた。
ウララは苛々《いらいら》した様子で彼の腕に手をかけ、
「ねえジョン。あたしはもう決心しているのよ。こうなっては仕方がないわ。さあ、これからすぐに、あたしを連れて逃げて下さい」
といって、彼の腕を揺《ゆ》すぶった。
ジョンは、またずり落ちそうになった鞄を抱えなおしてから、ウララの肩に手をかけ、
「ウララ、お聞きなさい。逃げることは、もっと後にしても遅くはありません。それよりも、あなたの家に行ってみましょう。死体の始末がうまく出来ればいいでしょう。さあ、急ぎましょう」
二人が玄関から出てくる気配なので、柱の蔭に隠れていた帆村はハッと愕いた。咄嗟《とっさ》に彼は、壁にピタリと身体を密着させた。二人はついにそれには気づかず、スタスタと雨の中に急ぎ足に出ていった。
それと入れ違いに、受付の窓が開いて、看護婦が顔を出した。
「アーラ、やっぱり誰も居やしないわ。だから、あたしはベルなんか鳴りやしないと云ったのに」
2
帆村は雨に濡れてゆく背丈のたいへん違った男女の後を巧みに追っていった。二人は濠端《ほりばた》へ出たが、自動車にも会わず、そのままドンドン向うへ歩いていった。そして新富橋《しんとみばし》の上にさしかかったとき、女はハッとした様子で立ち停った。
女は向うを指《ゆびさ》した。
「アラ、窓に灯がついているわ。誰もいない筈なのに」
橋を越えて、濠添いに右へ取っていったところに、人造人間の研究で知られた竹田博士研究所が聳《そび》えている。女は明らかにその家の窓を指しているのだった。
二人は急ぎ足となった。そして一度追い越した帆村を、また追い越しかえして、濠端を駛《はし》った。
門前ちかくにまで進んだ二人だったけれど、何を見たのか俄《にわ》かに急いで引返してきた。帆村は面喰《めんくら》った。しかし本当に面喰ったのは二人の方らしかった。男は女を後にかばってツと濠端に身を引いた。外人の大きな挙《こぶし》が長いズボンの蔭にブルブルと呻《うな》っているのが判った。帆村はジロリと一瞥《いちべつ》したまま、平然と二人の前を通りすぎた。彼は後の方で、深い二つの吐息《といき》のするのを聞いた。
帆村は構わず、竹田博士研究所の門前に近づいた。石段の上に、玄関の扉が開け放しになっていて、その奥には電灯が一つ、荒涼《こうりょう》たる光を投げていた。しかし人影はない。
彼は構わず石段をのぼっていった。石段を上りきったと思ったら、
「こらッ」と大喝一声《だいかついっせい》、塀のかげから佩剣《はいけん》を鳴らして飛びだしてきた一人の警官! 帆村の頸《くび》っ玉をギュッとおさえつけた、帽子が前にすっ飛んだ。
「まあ待って下さい。帆村ですよ」
「なんだ、帆村だとオ。――」警官は愕いて彼の顔を覗《のぞ》きこんで「――やあ、これはどうも失敬。帆村さん、莫迦《ばか》に嗅ぎつけようが早いじゃありませんか」
「なアに、この辺は僕の縄ばりなんでネ」
といって彼は笑った。帆村理学士といえば道楽半分に私立探偵をやっていることで警官仲間によく知れわたっていた。彼の学識を基礎とする一風変った探偵法は検察当局にも重宝《ちょうほう》がられて、しばしば難事件の応援に頼まれることがあった。かれは有名な悪口家《わるくちや》で、事件に緊張している下《した》ッ端《ぱ》の警官たちの頤《あご》を解く妙法を心得ていた。
「ねえ君。これは逃げた梟《ふくろう》でも捕《とら》える演習しているのかネ」
「冗談じゃありませんよ。ここの主人が殺《や》られたんですよ」
「ほう、竹田博士殺害事件か。それにしてはいやに静かだねえ。国際連盟は押入から蒲団《ふとん》でもだして、お揃《そろ》いで一と寝入りやっているのかネ」
「じょ、冗談を……」
といっているところへ、表に自動車のエンジンが高らかに響いて、帆村のいう所謂《いわゆる》国際連盟委員がドヤドヤと入ってきた。雁金《かりがね》検事、丘予審判事、大江山捜査課長、帯広《おびひろ》警部をはじめ多数の係官一行の顔がすっかり揃っていた。「お、帆村君、もう来ていたか。電話をかけたが、行方不明だということだったぞ」
と、雁金検事が、彼の肩を叩いた。
「いや貴官がたが御存知ないうちに、うちの助手に殺人現場を教えとくのは失礼だと思いましてネ」
と帆村は挨拶を返した。
「さあ、始めましょう」
大江山課長は先登《せんとう》に立つと、家の中に入っていった。帆村も一番|殿《しんが》りからついていった。
階段を二つのぼると、三階が博士の実験室になっていた。そこはだだっ広い三十坪ばかりの部屋だった。沢山の器械棚が壁ぎわに並んでいた。隅には小さい鉄工場ほどの工具機械が据《す》えつけてある。それと反対の東側の窓ぎわには紫色の厚いカーテンが張ってあって、その上に大きな寝台があり、その上に竹田博士の惨死体《ざんしたい》が上を向いて横たわっていた。
係官は、博士の死体のまわりに蝟集《いしゅう》した。実に見るも無惨な死にざまであった。顔面はグシャグシャに押し潰され、人相どころの騒ぎではなかった。もし赤い血にまみれ一本一本ピンと立った頤髯《あごひげ》の根もとに、ひとつかみほどの白毛《しらが》を発見しなかったら、これを博士と認知するのが相当困難であったろう。竹田博士は年歯《ねんし》僅かに四十歳であるのに、不精《ぶしょう》から来た頤髯を生やしていたが、どういうものかその黒い毛に交《まじ》って、丁度頤の先のところに真白なひとつかみの白毛が密生していることで有名だった。
帆村は、竹田博士の死体をちょっと覗いていただけで、間もなく鳩首《きゅうしゅ》している係官の傍を離れた。そして彼は、室内を改めてズーッと見廻したのであった。
そのとき彼の眼についたのは、器械棚と並んで大きな棺桶を壁ぎわに立てかけたような函《はこ》の中に納まっている鋼鉄製の人造人間であった。それは人間より少し背が高く中世紀の騎士が、ふたまわりほど大きい甲冑《かっちゅう》を着たような恰好をしていて、なかなか立派なものであった。そして頤の張った顔を正面に向け、高い鼻をツンと前に伸ばし、その下に切り込んだ三日月形の口孔《こうこう》の奥には高声器が見え、それから円《つぶ》らな二つの眼は光電管でできていた。また両の耳は、昔|流行《はや》ったラジオのラッパのように顔の側面に取りつけられ、前を向いたラッパの口には黒い布《きれ》で覆いがしてあった。
人造人間に近づいて、しばらく見ていると、どこからともなくギリギリギリという低い音がしているのに気がついた。
「オヤ」
と思った帆村は、試みに人造人間の鋼鉄張《こうてつばり》の胸に、耳を押しつけてみた。すると愕いた事にヒヤリとするだろうと思った鉄板が生暖く、そしてその鉄板の向うにギリギリギリという何か小さい器械が廻っているらしい音を聞きとることができた。
「ほう、この人造人間は生きているぞ」
彼は目を瞠《みは》って、改めてこの人造人間を眺めなおした。そのとき彼は、実に愕くべき発見をしたのだった。
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