ようじゃったが、一体そんなことは出来るのかしら?」
 人間の死体をバラバラにした事件や、またコマ切れにした事件というのは聞いたことがあるがこの話のように、吹けば飛ぶ位のメリケン粉か灰のようにするという事件は未《ま》だ耳にしたことがなかった。どうすればそんなことが出来るのだろうか。――こいつは興味あることだったが、更に難問だった。考えてゆくうちに、
「――うん、これだナ」
 と田熊社長は手を打った。あの男が、九分までは解けたが、一分だけ解けぬ問題があるといったのは、このことだと気がついた。あの男にも、どうして人間灰が出来るか、それが判っていないのだ。そう判《わか》ると、なんだかアベコベに痛快になった。
「それから、もう一つ電話を切られたところで、――二つの誤算のうち、一つは西風が途端に南西風に変ったという話だったが、もう一つの誤算は……というところで話が切れた。あれは一体どんなことを云うつもりだったろう?」
 ――こいつも考えたが判らない。しかしこの方は、何だかモヤモヤと明るいとでも云ったように、なんだか大変判りそうであった。なんだか既に気がついていることがらの癖に、そいつが一寸胴忘れをして思い出せないという形だった。そのうちに彼の乗った自動車は空気工場の前に来ていた。


     5


 彼は車を降りると、門を入り、玄関からズカズカ中へ入っていった。いつも行きつけているので、玄関脇の大きな応接室へ飛び込むと、そこには一隊の警察官を率いた先客の丘署長が居て、拙《まず》い視線をパッタリ合わせた。署長は顔に青筋を立てた。
「いよオ――」と社長は一と声かけた。「いかんじゃないか。折角ひとが聴いとるものを途中で切ってしまうなんて男らしくないぞ」
 また先《せん》を越された署長は、ポカンと口を開いたまま、一言も云えなかった。
 そこへ工場主の赤沢金弥と、青谷技師とが入ってきた。
「やあ、これは……」
 と赤沢氏は、元気のない声で署長に挨拶をした。
「署長さんが必ずここへお出でになると思っていましたよ」
 と、青谷技師の方は愛想よく云った。
「今日は実は……」と署長は苦が手の方を気にしながら、来意を述べにかかった。「液体空気を一壜貰いにやってきたのです」
 赤沢氏はますます泣き出しそうになりながら、幾度も肯《うなず》いた。赤沢氏は青谷技師に案内を命じたあとで、
「丘さん」と署長の方に向いた、「どうですか、あの事件は。どの位お判りになりましたナ」とオズオズ尋ねた。
「いや、奥さんの敵は、もうすぐ讐《と》ってあげますよ。犯人が屍体を湖水の中に投じたことは判明しました。この上は、犯人がどうして屍体を灰のように細かくしたかと云うことが判ればいいのです」
「ああ、そうですか、」と工場主はブルブル震《ふる》え手を自分の口に当てながら、「すると犯人は誰ですか」
「それはまだ言明《げんめい》できません。しかしもう解っているも同然ですよ」
「オイ出鱈目もいい加減にせんか」と社長がのさばり出た。
「このボンクラ署長に何が判っているものか。誰かに散々教授をうけていたくせに。つまらんことを喋《しゃべ》るのを止して、早く任務を果したがよいじゃないか」
 それを見ていた青谷技師は笑いながら、署長たちを工場の方へ誘った。
 工場はたいへん広く、器械は巨人の家の道具のように大きかった。強力なる圧搾器でもって空気を圧し、パイプとチェンバーの間を何遍も通していると、装置の一隅から、美しい空色の液体空気が、ほの白い蒸気をあげながら滾々《こんこん》と、魔法壜の中へ流れ落ちていた。
 一方では、液体空気をボイラーに入れて、微熱を加えてゆくと、別々のパイプから、酸素ガスやネオンやアルゴンなどの高価なガスがドンドン出てきて、圧力計の針を動かしながら鉄製容器《ボンベ》の中へ入ってゆくのが見えた。
 工場はあまりに広すぎた。署長の腰骨が他人のものとしか考えられなくなった頃、液体空気貯蔵室へ来た。
「君は幽霊じゃあるまいな」と早や道をしてその室に待っていた田熊社長が署長の顔を見ると皮肉を飛ばした。
「わしはもう夙《と》くの昔、君がこの工場の一隅で八人目の犠牲者になっとることと思って居ったわい」
 丘署長はやりかえしたいのを、青谷技師の前だというので、懸命に我慢をした。
「さあ、液体空気を頒《わ》けてさし上げましょう」そういって青谷技師は、床の上から手頃の魔法壜を台の上に引張りあげた。
「それから序《ついで》に、御注意までに、液体空気の性質を実験してごらんに入れましょう」
 青谷技師は、側の棚から、大きい二重|硝子《ガラス》の洋盃《コップ》を下ろした。それは一リットルぐらい入るように思われた。次に彼は、床の上から魔法壜をとりあげて、洋盃《コップ》の上に口を傾けた。ドクドクと白い靄《もや》が湧いてくる中を例の美しい空色の液体が硝子の器の中に、なみなみと湛《たた》えられた。
「どうです、綺麗なものでしょう。広重《ひろしげ》の描いた美しい空の色と同じでしょう」
 丘署長も田熊氏も感心して見惚《みと》れた。
「なにしろこの液体空気は氷点下百九十度という冷寒なものですから、これに漬《つ》けたものは何でも冷え切って、非常に硬く、そして脆《もろ》くなります。ごらんなさい。これは林檎《りんご》です。これを入れてみましょう」
 技師は赤い林檎を箸の先に突きさして、液体空気の中にズブリと漬けた。ミシミシという音がして、液体空気が奔騰《ほんとう》した。その後で箸を持ち上げると、真赤な林檎が洋盃《コップ》の底から現れたが、空中に出すと忽ち湿気を吸って、表面が真白な氷で蔽《おお》われた。
「さあこの冷え切った林檎は、相当堅くなりましたよ。小さい釘ぐらいなら、この林檎を金槌《かなづち》の代りにして、木の中に打ちこめますよ」
 技師は小さな釘をみつけて、台の上につきさすと、その頭を凍った林檎で槌がわりにコンコンと叩いた。釘は案にたがわず、打たれるたびに台の中へめりこんでいった。見物の一同は、唖然《あぜん》とした。
「さあそこで、こんな堅い林檎ですが、これが如何に脆《もろ》いかお目にかけましょう。ここにハンマーがあります。これで強く殴《なぐ》ってみましょう」
 そういって技師はハンマーをとると、台上の冷凍林檎を睨《にら》んだ。
「エエイッ」
 ポカーンと音がして、ハンマーは見事に林檎を打ち砕いた。あーら不思議、林檎はグチャリとなるかと思いの外、一陣の赤白い霧となって四方に飛び散り跡片もなくなった!


     6


「林檎が消え失せた!」
 と署長が叫んだ。
「イヤ今に見えてきます。ほら、この台の上をごらんなさい。赤い灰のようなものが、だんだん溜《たま》ってくるでしょう。飛び散ったのが、下りてくるのです。――これが粉砕された。林檎の一部です。……」
 丘署長はこのとき棒のように突っ立った。
「ああ判ったぞ。ああ、判ったぞ」
 彼は胸を叩《たた》いて喚《わめ》いた。
「ああ、人間灰事件《にんげんかいじけん》の謎が遂に解けたぞ、七人の犠牲者は、いずれも液体空気の中に漬けられたのだ。そして氷点下百九十度に冷凍され後、金槌かなんかで打ち砕かれ、あの人間灰に変形されたのだ。よオし判った。犯人は確かに、この空気工場の中にいる!」
 そう署長が叫んだとき、卓上の電話がチリンチリンと鳴った。青谷技師がそれを取上げようとするのを、昂奮《こうふん》しきった署長は横から行って、ひったくるように取上げた。
「モシモシ。誰か来て下さい」
 と、上ずった悲鳴が聞えた。
「君は誰だ。名乗り給え」
「ああ、近づいて来る。妻の幽霊だ。助けて呉《く》れッ。ああ、殺されるーッ」
 異様な叫びと共に、電話は切れた、署長の顔は、赤くなったり蒼《あお》くなったりした。電話の主は工場主の声に違いなかった。
「赤沢氏が幽霊に襲われ、救いを求めている。赤沢氏の室へ案内し給え、早く早く」
「えッ、先生がッ。――」
 青谷技師を先登《せんとう》に、署長以下がこれに続いて、室外に飛び出した。階段をいくつか昇って、とうとう特別研究室に駆けつけた。
 扉を開いてみると、居ると思った筈の、赤沢博士の姿はどこにも見えなかった。しかし受話器の外《はず》れた電話機が、床の上に転がっていた。してみると只今の恐怖の電話は、この室から掛けたものに相違ない。博士と幽霊とは一体どこに消えたのだろうか。
 一同は顔を見合わせて、沈黙した。
「オイしっかりしろ署長」と田熊社長が叫んだ。「なんか変な音がするじゃないか」
「変な音?」
 なるほどどこやらから、ピシピシプツプツと、異様な音響が聴えてくるのであった。
「うん、見付けたぞ」
 青谷技師が室の一隅へ飛びこんで行った。そこには青いカーテンが掛けてあった。技師はカーテンをサッと引いた。すると衣装室と見えたカーテンの蔭には、洋服は一着もなかった代りに、白いタンクが現れた。そこにある一つのハンドルに飛びついて、それをグングン右へ廻した。
「それは何だ」と署長が叫んだ。
「これは液体空気のタンクです」と技師は云って、一同の方へ険《けわ》しい眼を向けた。「あなたがた注意をして下さい。その大きな机の後方へ出てくると、生命がありませんよ」
「ナニ、生命がないとは……」
 恐いもの見たさに、一同は首を伸べて、大机の後方を覗《のぞ》きこんだ。
「いま明けてみますから……」
 青谷技師は側《かたわ》らの鉄棒をとって、床の一部を圧した。すると板がクルリと開いて、床の下が見えてきた。床下には普通の洋風浴槽の二倍くらい大きい水槽が現れた。その中を見た一同は、思わず呀《あ》ッといって顔を背《そむ》けた。その水槽からは湯気のようなものが濛々《もうもう》と立ちのぼり、その下には青い液体が湛《たた》えられ、その中に一個の人体が沈んでいるのが認められた。引き上げてみると、それは外ならぬ赤沢博士の屍体だった。全身は真白に氷結し、まるで石膏像《せっこうぞう》のようであったが、その顔には恐怖の色がアリアリと見えていた。――青谷技師は、このハンドルを廻さなければ液体空気はなおドンドンこの水槽の中へ入って行く筈だと説明した。
「これは面白いことになってきた」K新報社長は喚《わめ》きたてた。「これはテッキリ赤沢金弥が犯人じゃろうと思っていたが、赤沢は幽霊に殺されてしまったじゃないか。オイ丘署長、犯人は一体誰に決めるのだ」
 丘署長は、この激しい詰問《きつもん》に遭《あ》って、顔を赤くしたり蒼くしたり、著《いちじる》しい苦悶の状を示した。しかし遂に決心の腹を極めたらしく、大きな身体をクルリと廻わすやいなや、青谷技師に躍りかかった。
「さあもう欺されんぞ。君を殺人犯の容疑者として逮捕する!」
「これは怪しからん」
 青谷技師は激しく抵抗したが、署長の忠実なる部下の腕力のために蹂躪《じゅうりん》されてしまった。彼の両手には鉄の手錠がピチリという音と共に嵌《はま》ってしまった。しかし署長以外の者は、意外という外に何のことやら判りかねた。
「おうおう、派手なことをやったな。但し君はまさか気が変になったんじゃなかろうネ」とK新報社長がやっと一と声あげた。
 丘署長はそれに構わず、技師を引立てた。
「署長さん――」と青谷は怨《うら》めしそうに叫んだ。「これは何が何でもひどいじゃないですか。どうして手錠を嵌《は》められるのです。その理由を云って下さい」
「理由?――それは調室へ行ってから、こっちで言わせてやるよ」


     7


 青谷技師は調室の真中に引きだされ、署長以下の険《けわ》しい視線と罵言《ばげん》とに責められていた。彼は極力犯行を否定した。
「……判らなきゃ、こっちで言ってやる」と署長は卓を叩いた。「これは簡単な問題じゃないか。あの特別研究室に入るのは、博士と君だけだ。床をドンデン返しにして置いて、その下へ西洋浴槽のようなものを据《す》えてサ、それから一方では液体空気のタンクを取付け、栓のひねり具合で浴槽の中へそいつが流れこむという冷凍人間製造器械は、君が作ったものに違い
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