……。
母親 あーら、いやですわ。あれはあたしが動物学の暗誦《あんしょう》をしていたんですわ。
父親 (飯を頬張りながら)動物学だって。
母親 ええ。つまり、斧足類の動物と申しますと、蛤だの、蜆だの、あさりだの、それから赤貝やばか貝でございますの。
父親 なあんだ。御馳走じゃなかったのかい。それは一向《いっこう》つまらんねえ。(気をかえて)しかし、なぜお前が赤貝やばか貝を暗記する必要があるんだ。
母親 あなたア! あ、あ、あなたア!
父親 ななな、なあんだ。急に、か、金切《かなき》り声《ごえ》など出しやがって。
母親 失礼いたしました。ではございますが、あなたは道夫に対し、たいへん冷淡《れいたん》でいらっしゃいます。道夫が、あの通り受験準備のため、好きなレコードをきくことさえよしていますのに、あなたは道夫の入学試験のことを、ちっとも心配しておやりにならないんですもの。
父親 冗談いうな。俺はどんなにか心配を――。
母親 まあ、あたくしの申すことをお聞きあそばせ。あたくしなんか、道夫と一緒になって受験勉強をしているのでございますよ。頭足《とうそく》類、腹足《ふくそく》類、斧足《ふそく》類などを暗記しておりますのも、道夫以上に母親が知っていれば、道夫が発奮《はっぷん》すると思うからでございますよ。それから、あたくしは、新聞の広告面を毎日隅から隅まで目をとおしまして、なにか新刊で優秀な受験準備書がありますと、すぐ本屋へとんで行って買ってまいります。そしてまずあたくしが読んでみまして、他の受験書に出ていない問題を選《よ》りわけまして、道夫に毎日毎日やらせているのでございますよ。あたくしは、いやしくもわが国において印刷になった練習問題なら、一度は必ず道夫にやらせておかなければ、枕を高くして寝られないのでございます。そのお陰で道夫は入学試験のとき、どんなに楽だか知れません。それほどあたくしが……。
[#ここから2字下げ、折り返して1字下げ]
それなのに――。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
父親 おい御飯だ、お代りだ。
[#ここから2字下げ、折り返して1字下げ]
茶碗と飯櫃《おひつ》の音。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
母親 あなたはあまりに冷淡《れいたん》です。
父親 ばかをいうな、お前が熱心であることは認めるが、そんなやり方は感心できない。

前へ 次へ
全13ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング