きるのだった。僕は、この有名なる富《と》める友人のお蔭で、その邸《やしき》に出入しては、自分の財布に相談してはいつになっても得られないような御馳走にありついたり、遇《たま》には独り身の鬱血《うっけつ》を払うために、町はずれの安待合《やすまちあい》の格子《こうし》をくぐるに足るお小遣《こづかい》を彼からせしめたこともあった。彼が呉子《くれこ》さんを迎えてからは、そう大《おお》ぴらには、せびることもできなかったが、彼の代りに出版の代作《だいさく》をしたり、講演の筋を書いたりして、その都度《つど》、学校から貰う給料に匹敵するほどの金を貰っていた。呉子さんはこの辺の事情を、うすうす知ってはいたのであろうが、生れつきの善良なる心で、僕をいろいろと手厚く歓待《かんたい》してくれたのだった。
 僕は、柿丘邸の門をくぐるときには、案内を乞《こ》わずに、黙って入りこむのが慣例になっていた。柿丘が呉子さんを迎えてからは、この不作法《ぶさほう》極《きわ》まる訪問様式を、厳格《げんかく》に改《あらた》めたいと思ったのではあるが、どうも習慣というのは恐ろしいもので、格子《こうし》にちょいと手がかかると、僕はいつの間にやらガラガラとやってしまって、気のついたときには、茶の間の座蒲団《ざぶとん》の上にチョコナンと胡坐《あぐら》をかいているという有様だった。しかし僕は、柿丘邸の玄関と茶の間と台所と彼の書斎と、僕が泊るときにはいつも寝床をとってもらうことになっている離座敷《はなれざしき》との外には、立ち入らぬ様にきめていた。しかし、たった一度、眼も醒《さ》めるような紅模様《べにもよう》のフカフカする寝室の並んだ夫妻のベッド・ルームを真昼《まっぴる》のことだから誰も居ないだろうと思って覗《のぞ》きに行き、しかも失敗したことはあるが、まアそのような話は、しない方がいいだろう。
 さて、その夏の或る日のことだった。
 僕は講習会で、つまらぬ講義をすませてから(その講習会に、例の牝豚夫人が参加していたことは云うまでもない)、その夜のうちに、一寸読んで置きたい本があったので、その本が柿丘の書棚《しょだな》にあることを兼《か》ねて眼をつけておいたものだから、今日は行って借りてこようと思い、麻布本村町《あざぶほんむらちょう》にある彼《か》の柿丘邸に足を向けたのだった。
 玄関をガラリと開けると、僕はいつも履物《は
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