中に沈思していたが、やがて元気を加えて語り出した。
「むかし古神君は、迷路の研究に耽《ふけ》っていましたよ。彼は主に洋書を猟《あさ》って、世界各国の迷路の平面図を集めていましたが、その数が百に達したといって悦んで私たちにも見せました。……この千早館の中に迷路があるのは、だからふしぎではない。が、早く知りたいのは、彼がどんな迷路を設計したかということです。さあ、先へ進んでみましょう」
「ええ」
「あ、ちょっと待って下さい。迷路を行くには定跡がある。これはあなたにお願いしたい。春部さん。あなたの左手は自由になるでしょう。その左手で、このチョークを持って、これから通る左側の壁の上に線をつけていって下さい。必ず守らなければならないことは、チョークを絶対に壁から離さないことです。いいですか」
 そういって帆村は、ポケットの奥から取出したチョークを手渡した。それは緑色の夜光チョークというやつであった。
「なぜそんなことをしなければならないんですか」
「迷路に迷わないためです。その用意をしなかったばかりに、迷路に迷い込んで餓死した者が少くないのです」
「まあ、餓死をするなんて……」
「気が変になるのは、ざらにありますよ。さあ行きましょう。もし、チョークのついているところへ戻って来たら、知らせて下さい」

     9

 迷路は、とても長かった。
 ようやく元のところへ戻って来たので時計を見ると、一時間五分経っていた。
 帆村はそこで小憩をとることにした。彼はオーバーのポケットから、チョコレートとビスケットを出して、春部の手に載せてやった。そしてなお小壜に入ったウィスキーを飲むようにと彼女に薦《すす》めた。
「何も異状はなかったようね」
 春部は、新しいチョコレートの銀紙を剥きながらいった。
「さあ、それはまだ断定できないです。今のは迷路を正しい法則に従って無事に一巡しただけなんです。これからもう一度廻ってみて、この迷路館が用意している地獄島を見付けださねばならないんです」
「何ですって。地獄島とおっしゃいましたか」
「いいました。地獄の島です。迷路の或るものには“島”というやつが用意されてあるんです。この島へ迷い込んだが最後、なかなかそこを抜け出すことが出来ないんです」
「わたくしには、よく意味がのみこめませんけれど……」
「島というのはねえ、そのまわりについていくらぐるぐるま
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