千早館の迷路
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)胴慄《どうぶる》い
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)異臭|紛々《ふんぷん》たる
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)そだ[#「そだ」に傍点]
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やがて四月の声を聞こうというのに、寒さはきびしかった。夜が更けるにつれて胴慄《どうぶる》いが出て来たので、帆村荘六は客の話をしばらく中絶して貰って、裏庭までそだ[#「そだ」に傍点]を取りに行った。
やがて彼は一抱えのそだを持って、この山荘風の応接室に戻って来た。しばらく使わなかった暖炉《だんろ》の鉄蓋をあけ、火かき棒を突込むと、酸っぱいような臭いがした。ぴしぴしとそだ[#「そだ」に傍点]を折って中にさしこみ、それから机の引出をあけて掴《つか》み出した古フィルムをそだ[#「そだ」に傍点]の間に置いて炉の中に突込み、そして火のついた燐寸《マッチ》の軸木を中に落とした。火はフィルムに移って、勢よく燃えあがり、やがてそだ[#「そだ」に傍点]がぱちぱちと音をたてて焔に変っていった。
「さあ、もうすぐ暗くなります。……ではどうぞ、お話をお続け下さい」
そういって帆村探偵は、麗《うるわ》しい年若の婦人客に丁寧な挨拶をした。
鼠色のオーバーの下から臙脂《えんじ》のドレスの短いスカートをちらと覗かせて、すんなりした脚を組んでいる乙女は、膝の上のハンドバグを明け、開封した一通の鼠色の封筒に入った手紙を出して、帆村の方へ差出した。
「これがそうでございますの。どうぞ中の手紙を出してお読み下さいまし」
憂《うれ》いの眉を持ったこの乙女の、声は清らかに、鈴を振るようであった。
帆村は肯いて、封筒を受取ると、中からしずかに用箋を引張りだして、彼の事務机の上に延べた。高価な無罫白地の用箋の上に、似つかわしからぬ乱暴な鉛筆の走り書で認めてある短い文面……。
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――月姫のごとく気高き君の胸に、世の邪悪を知らせたくはないが、これも運命、やむを得ない。あと一週間して、もしか僕が貴女の前に現れなかったら、僕のことは永劫に忘れて呉れ給え。決して僕の跡を追うなかれ。四方木田鶴子を信ずるなかれ、近づくなかれ。さらば……。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]三月二十五日。田川勇よ
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