り。
春部カズ子さま。
「なるほどねえ……」
と帆村は沈思し、春部カズ子も黙したままにて帆村の面《おも》に動く一筋の色も見のがすまいとこちらを凝視し、しばし時刻はうつろのままに過ぐる。耳にたつは、煙突の中、がらがらと鳴り始めた焔の流れのみ。
ややあって帆村は顔をあげ、麗しき客の面を見た。二人の視線はぶつかった。しかしいずれの視線も氷のように凍《こお》りついていた。普通の場合だったら、どちらもぱっと頬を染めたであろうに。
「今日は三月二十七日ですね」
「はあ」
「もっとも、この次、時計が鳴れば二十八日になりますが……。この手紙の日附より一週間後といえば、二十五日に七日を加えて、つまり、四月一日となる。ははは、春部さん、失礼ながらあなたは田川君から四月馬鹿で担《かつ》がれているんじゃありませんか」
「いいえ、そんなことはございません」
言葉と共に、彼女の小さい靴がこつんと床を踏み鳴らした。真剣な光を帯びた大きな眼。
「よく分りました。全力をつくしてあなたの田川君を探し出しましょう。あと四日の余裕がありますから、その間に解決してしまいたいものです」
「どうぞ、そうお願いいたします。そしてわたくしも先生のお伴《とも》をして、捜査に従事したいんです。さもないとわたくしは、不安と孤独感とで気が変になってしまうでしょう。ね、先生、お連れ下さいますわね」
カズ子が今にも帆村の前に脆《ひざまず》きそうに見えたので、帆村はあわててそだ[#「そだ」に傍点]を掴んで立上った。そして火の子を散らしながら、暖炉の中へ折って入れた。
「だがねえ、春部さん」
帆村は眉をひそめていった。
「私の予感を正直に申上げると、この田川君の家出事件には不吉な影がさしていると思いますよ。あなたは聰明だから、やはりそれを察して居られるんだと思いますが……」
田川君の遺書にうたってある一週間の過ぐるのを待たで、この手紙を受取るとすぐ帆村のところへ駆付けたほどに、春部カズ子は聰明な女だ。
「そうなんです。何故とも訳は分らないのに、わたくしはその手紙を読んだとき、足許に踏んでいる大地が崩れて行くような感じを持ったのです。そういういやな気持の経験は、前にも一二度ありました。それはわたくしの父が戦死したその時刻のことです。わたくしは新見附の停留場に立っていましたが……いや、こんなことは事件に関係ないんですか
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