それに「便所」という文字が読めた。
彼女は、飛び立つ想いで、そこの扉《ドア》を押した。扉があくと、そこには清潔な便器が並んでいる洋風厠《ようふうかわや》だった。ダリアはその一つに飛びこんで、パタリと戸を寄せると、気持のよい程、充分に用を足した。
大きい鏡があったので、ダリアはそこで繃帯《ほうたい》を気にしながら、硫酸《りゅうさん》の焼け跡のある顔へ粉白粉《こなおしろい》を叩いた。そして入口の扉を押して、廊下に出た。その途端《とたん》にダリアはハッと駭《おどろ》いて、
「呀《あ》ッ」
と声をあげた。
そこには思いがけなくも、帆村を始め、捜査課長、検事、判事など十四五人が、ダリアの方に身構《みがま》えをしていた。
「まア、どうしたんです。帆村さん」
ダリアの救いを求めた帆村は、最早《もはや》、先刻、射的《しゃてき》で遊んだ帆村とは別人《べつじん》のようであった。
「白丘ダリアさん。それは今大江山捜査課長から説明して下さるでしょう」
言下《げんか》に大江山課長はヌッと前へ出た。
「白丘ダリア。いま汝《なんじ》を逮捕する」
「あたしを逮捕するって、冗談はよして下さい」
「まだ白っぱくれているな。吾々の眼はもう胡魔化《ごまか》されんぞ。白丘ダリアが嫌いだったら、『赤外線男』として汝を捕縛《ほばく》する。それッ」
ワッと喚《わめ》いて、選《え》りぬきの腕に覚えのある刑事が、ダリアの上に折り重なった。もう遁《に》げる道もなければ、方法もなかった。
「赤外線男」は、それっきり自由を奪われてしまった。
* * *
事件が一|段落《だんらく》ついた後の或る日、筆者《わたくし》は南伊豆《みなみいず》の温泉場で、はからずも帆村探偵に巡《めぐ》りあった。彼は丁度《ちょうど》事件で疲れた頭脳を鳥渡《ちょっと》やすめに来ていたところだった。仄《ほの》かに硫黄《いおう》の香《かおり》の残っている浴後《よくご》の膚《はだ》を懐《なつか》しみながら、二人きりで冷いビールを酌《く》み交《か》わした。そのとき彼の口から、この事件の一切の顛末《てんまつ》を聞くことが出来たのだった。彼は中学校で同級だったときのあの飾り気のない口調《くちょう》で、こんな風に最後の解決を語った。
「『赤外線男』が白丘ダリアといったんでは、警官の中にも本気にしない人があった位だよ。しかし要点を云
前へ
次へ
全47ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング