、頭を下げ顔を掩《おお》うたまま、一度も首をあげようとはしなかった。映画が終って、一座の深い溜息《ためいき》と共に、パッと電灯がついた。
「潮」大江山課長は声をかけた。「この撮影者は誰か」
「あいつです」青年はグッと首をもちあげた。「あいつです。深山楢彦《みやまならひこ》――彼奴《あいつ》がやったんです。子爵夫人と僕とは間違ったことをしていました。深山は而《しか》も夫人に恋をしていたのです。彼奴《あいつ》は私達の深夜の室をひそかに窺《うかが》って暗黒の中にあの赤外線映画をとってしまったんです。深山はそれをもって可憐《かれん》なる子爵夫人を幾度となく脅迫《きょうはく》しました。一度は夫人があのフィルムの一端《いったん》を奪ったのですが、それは焼いてしまいました。バッグの底にのこっているフィルムの焼け屑は、あれだったんです。鬼のような深山は、赤外線利用の技術を悪用して、それまでにも、人の寝室を密《ひそ》かに写真にとっては、打ち興じていたという痴漢《ちかん》です。しかし飽《あ》くまで夫人に未練《みれん》をもつ彼は、夫人が意に従わないときはあの映画を公開するといって脅《おびや》かしたのです。夫人は凡《すべ》てを観念し、とうとう新宿のプラットホームからとびこまれたのです。これも皆、深山の仕業です。夫人は身許《みもと》のわかることを恐れて、いつもあのような服装を持って居られました。あれは最も平凡な、世間にザラにある持ちものを集められたのです。いわば月並《つきなみ》の衣類なり所持品です。それがうまく効《こう》を奏して隅田《すみだ》氏の妹と間違えられたのです。顔面の諸《もろ》に砕《くだ》けたのは、神も夫人の心根《こころね》を哀《あわれ》み給いてのことでしょう。僕は復讐を誓いました。そして深山の室に闖入《ちんにゅう》して、あのフィルムを奪回《だっかい》したのです。彼奴《かやつ》を探しましたが、どうしたものかベッドはあっても姿はありません。早くも風を喰らって逃げてしまった後だったのです。それから僕は……」
 このとき白丘ダリアは、先刻《さっき》から耐えていた尿意《にょうい》が、どうにももう持ちきれなくなった。その激しさは、いまだ経験したことが無い位だった。彼女は慌《あわ》てて試写室を出ると、薄暗い廊下に飛び出した。見ると、直ぐ間近《まぢ》かに、赤い灯火《ともしび》が点《とも》っていて、
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