きに、鳴弦楼《めいげんろう》と呼ばれるこの高塔は、望遠鏡の力を借りて四十里|彼方《かなた》に蟻の動くのも手にとるように判ったことだろうし、よしんば敵軍がこの塔下に迫って、矢を射かけても、あたりは十尺もあろうという厚い壁体《へきたい》だし、開いている窓はたった一つであるから、一筋の矢を送りこむことも不可能だったことだろう。そこに先祖《せんぞ》の用心があったかもしれないのだった。
 だが、今となっては、呪《のろ》いの小窓以外の、何ものでもない。
「もっとも、私はもう死んでいる身なのだ」
 漢于仁は、そこで大きな溜息《ためいき》を一つついたのだった。
 帆村探偵が、漢于仁の顔を見たらば、どんなに驚くことだろう。それは、いつか鼠坂《ねずみざか》の心霊《しんれい》実験会で逢い、それからのち、真夜中の銀座裏で突飛《とっぴ》な質問を浴せかけたあの神田仁太郎という怪青年に瓜二つの顔だったから。しかし、あれは日本での出来ごとだった。ここは疑いもなく、西へ五百里も距《へだ》った中華民国は浙江省《せっこうしょう》での話だった。
 漢青年は、またいつものように、あの不思議な日以来の出来事を復習し、隅から隅まで
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