窓下《そうか》を覗《のぞ》くことも叶《かな》わなかった。
 この室は、漢于仁の故郷であるところの浙江省《せっこうしょう》は杭州《こうしゅう》の郊外、万松嶺《ばんしょうれい》の上に立つ、直立二百尺の楼台《ろうだい》のうちにあって、しかもその一番高いところにあった。近代風の試みから、この室の天井は、厚い曇り硝子《ガラス》を貼りつめてあるので、日中は朝から晩まで、陽の光がさし、硝子を透《とお》して大空の青さが見えるようであった。
 せめてこの室の南側《なんそく》に、もう一つの小窓でもあいていたら、そこからは、風致上《ふうちじょう》よろしくはないかも知れないが、銭塘江《せんとうこう》の賑《にぎ》やかな河面《かめん》が、近眼の彼にも、薄ぼんやり見えたことであろう。
(何故、自分の先祖は、この楼台《ろうだい》の頂上に、たった一つの小窓しか、明けなかったのだろう)
 漢于仁は、今から一千年も前に、この地を選んで、大土木工事を起した呉王《ごおう》の意中を測りかねた。だが当時は、唐の壊滅をうけたあとの乱国時代のことだから、いつ呉王を覘《ねら》って敵国の軍勢が、攻めよせてくまいものでもなかった筈だ。そのと
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