腸炎でね、だ、だいぶ前のことですよ」
「なあんだ、死んだか。死んだのなら、しようがない」
 吹矢は、とたんにその娘のことに興味を失ったような声をだした。そしてまた来るといって、すたすたと室を出ていった。
 その夜更けの午前一時。
 医学生吹矢隆二は、ようやく八日目に、自宅の前に帰ってきた。
 彼はおもはゆく、入口の錠前に鍵をさした。
(すこし遊びすぎたなあ。生きている腸《はらわた》――そうだチコという名をつけてやったっけ。チコはまだ生きているかしら。なあに死んでもいいや。とにかく世界の医学者に腰をぬかさせるくらいの論文資料は、もう十分に集まっているからなあ)
 彼は、入ロの鍵をはずした。
 そして扉をひらいて中に入った。
 ぷーんと黴くさい匂いが、鼻をうった。それにまじって、なんだか女の体臭のようなものがしたと思った。
(おかしいな)
 室内は真暗だった。
 彼は手さぐりで、壁のスイッチをひねった。
 ぱっと明りがついた。
 彼は眩しそうな眼で、室内を見まわした。
 チコの姿は、テーブルの上にもなかった。
(おや、チコは死んだのか。それとも隙間から往来へ逃げ出したのかしら)
 と思った
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