んな事件か、わしはなんにも知らん。ただはっきり言えるのは、彼奴《あいつ》はなかなかのしっかり者で、婦人に対してもすこぶる潔癖《けっぺき》だから、その点は心配しないように」
 老所長の言葉は、なんだか六条子爵のことを言外《げんがい》に含めていっているようにも響《ひび》いた。
 とにかく風間光技は、日毎夜毎《ひごとよごと》の悒鬱を払うには丁度《ちょうど》いい機会だと思ったので、早速《さっそく》老所長の命令に従《したが》って、自分の力を借りたいという帆村荘六の事務所へでかけたのだった。
 帆村の探偵事務所は、丸《まる》の内《うち》にあったが、今時《いまどき》流行《はや》らぬ煉瓦建《れんがだて》の陰気《いんき》くさい建物の中にあった。びしょびしょに濡《ぬ》れたような階段を二階にのぼると、そこに彼の事務所の名札《なふだ》が下げてあった。彼女は、入口に立っていちょっと逡巡《しゅんじゅん》したが、意を決して扉を叩いた。すると中から、
「どうぞ、おはいりください。扉に錠《じょう》はかかっていませんから、あけておはいりください」
 と、若々しいはっきりした声が聞えた。風間光枝は、吾れにもなく、身体がひき
前へ 次へ
全36ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング