けて、物を壊《こわ》すんです。さかんに壊すんです」
「あらまあ、どうしてでしょう」向うへいったら、さかんに物を壊せ、気をつけて物を壊せといわれて、光枝はひどく愕《おどろ》いた。どうも帆村のなすこと云うことは突飛《とっぴ》すぎて、常識ではついていけない気がする。
「コーヒー茶碗《ちゃわん》とか、花瓶《かびん》とか、灰皿とか、スタンドとか、そういったものを、あれっとか、あらっとかいいながら、じゃんじゃん下に墜《お》として壊してください」
「そんなことをすれば、私はすぐ馘《くび》になってしまいますわ」
「なあに大丈夫。貴女なら馘の心配はないから、どしどし壊してください」
「弁償《べんしょう》しなくていいのですか」
「弁償なんか、心配無用です。ただ心懸けておいてもらいたいのは、行ってから二三日以内に、本棚のうえにおいてある青磁色《せいじいろ》の大花瓶《おおかびん》を必ず壊すこと、これはぜひやってください。そしてその翌朝、貴女は自分でハガキを入れにポストまで持って出るんです。いいですか」
「大花瓶を壊すことは分りましたが、翌朝ハガキを投函《とうかん》にいくといって、なんのハガキをもって出るのですか」
「誰あてのでもいいですよ。――それから大事なことは、けっして女探偵だと悟《さと》られないように振舞《ふるま》ってください。ものを壊すにしても、良心にとがめるといったような菩提心《ぼだいしん》を出さないで、こんな壊れ物を扱わせるから壊れるんじゃないの……ぐらいの太々《ふてぶて》しさでやってください。なにしろすこしにぶい小間使らしく振舞ってください」と、帆村は自分の脳天《のうてん》に指をたてた。
「まあ、たいへん骨が折れますのねえ」
「まあ、そういわないで、やってください。主人公が何をいっても何をしても、例のすこしにぶい小間使の要領でいくんですよ」
「そんなことをして、どうしようというんですの。一体どんな事件なんですか。あたしにすこしぐらいお明《あ》かしになったっていいでしょう」
「ううん、それがいけない」と帆村は大きく頭をふり、
「そのように貴女が探偵気どりでいちゃいかんです。あとのことは僕がうまくやるから、貴女はなにも愕かないで筋書どおりやってください。どこまでも、うぶな娘さんのつもりでいてください」
「そして低脳ぶりを発揮《はっき》しろとおっしゃるんでしょう」そういって風間光枝は、横眼をつかって、さも憎《にく》らしげに帆村をじろりと見た。


   破壊作業《はかいさぎょう》


 その日の夕方、風間光枝はすっかり仕度をととのえ、口入屋《くちいれや》の番頭に化けた帆村に伴われて、問題のお屋敷の裏門をくぐった。
 裏門から裏玄関へ。裏玄関といっても、なかなか堂々たるもので、家賃百円を出してもこれくらいの玄関はついていまいと思われる大《たい》した構《かま》えだ。
「ああ大木屋か。たいへん遅《おそ》いもんだから、もう他へ頼んじまった。用はないから、帰れ、帰れ」この家の主人公にちがいない五十を二つ三つも越えた肥満漢《ひまんかん》が、白い麻のゆかたを着て、裏玄関までのこのこ出て来た。よほど暑がり屋と見える。
「へえ、どうも相済《あいす》みませんでございました。じつはこちらさまにきっとお気に入ること大うけあいという上玉《じょうだま》がありましたもんで、それを迎えに行っておりましたような次第《しだい》で――ところがこれが埼玉《さいたま》の在《ざい》でございまして、たいへん手間どれました。ここに控《ひか》えておりますのが、その一件でございまして、在には珍らしい近代的感覚をもちました娘でげして……」
「こら、大木屋。こんどだけは特に大目に見てやるが、この次から容赦《ようしゃ》せんぞ。この次は絶対|出入差止《でいりさしと》めだ。特にこんどだけは――おい、なにをぐずぐずしとる。早くその――ええソノ阿魔《あま》っ児《こ》を上へあげろちゅうに」
 旦那様は、たいへんな騒ぎ方であった。
 帆村は、わざとなんにもこの旦那様について説明をしなかったが、玄関の段でもって、この旦那様のこれまでの半生《はんせい》がはっきり分ったような気がした。なにかぼろい大仕事をして成上った人物で、教育なんぞはないくせに、尖端的《せんたんてき》文化の乱食者《らんじきしゃ》であることが、絵に描いてあるように、光枝にははっきり見えるのだった。
 そこで光枝は、早速《さっそく》その夜から、旦那様づきの小間使として、まめまめしく仕《つか》えることとなった。
「ふふふん」ときおり光枝のうしろで、そういう咳《せき》ばらいとも呻《うな》り声ともつかないものが聞えた。そのようなとき、光枝がふりかえってみると、必ずそこに旦那様のきらきらした眼があって、とたんに旦那様は犬にとびこまれた鶏《とり》のようにばたばた
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