、彼女がこの部屋に入ったときからあそこにいて、静かに仕事をつづけているらしい。なぜなら、彼はどこへ立った気配《けはい》もないから、やはりあそこにいるにちがいないのだ。
「あっ、先生。およし遊ばせ。あの衝立の向うに仕事をしていらっしゃる所員の方に対しても、恥《はず》かしいとお思いにならないんですの」といって、帆村に握られた腕を無理やりに払った。
「えっ、所員ですって。そんな者はいませんよ。きょうは僕一人なんです」
「でも、さっきあの衝立《ついたて》の向うから……」
「あっはっはっ、あの声ですか。あれは所員がいて、声を出したわけではなく、録音《ろくおん》の発声器《はっせいき》なんです。自動式に、訪問客に対して挨拶をする器械なんですよ。嘘だと思ったら、こっちへ来て衝立の蔭をごらんなさい」
「そんなこと、嘘ですわ」と光枝はいったが、衝立の後を見ないではいられなかった。帆村が後にさったのを幸《さいわ》いに、素早《すばや》くそこを覗《のぞ》いてみて、あっと愕いた。なるほど、衝立の後には、誰もいない。小さな卓子《テーブル》のうえに、なるほど録音の発声器らしいものが載っているだけだ。その附近には、人間の出ていく扉もなければ、人間の身体が隠れる物蔭もない。するとやっぱり帆村のいったとおりなのである。
 また新たなその大きな愕きと、そしていよいよこの部屋の中に、自分は帆村と二人きりなんだと思うと、俄にぞくぞくとしてくる或る危険に対する戦慄《せんりつ》! 光枝は、とんでもないところへ来たものだと、胸がどきどきだ。はじめから安心しきって来ただけに、彼女はこの不意打《ふいうち》に狼狽《ろうばい》するしかなかった。あの入口には、きっともう、扉をしめるとがちゃんと閉る自動錠がかかっているのであろう。壁はこのとおり厚いし、第一窓というものがない。いくら喚《わめ》いたって、もうどうにもなるまい。こうなるのも運命だ。彼女は、すっかり観念して、目を閉じた。


   奇妙な任務


 そのとき帆村の声が光枝の耳に入った。
「いや、どうも失礼しました。これからお願いする仕事に関して、予《あらかじ》め貴女の処女性反撥力《しょじょせいはんぱつりょく》といったようなものを験《ため》しておきたかったのです」帆村は、急に意外なことをいいだした。
「えっ、まあそんな……」
「でも、こいつばかりは話だけでも信用がなりま
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