服には穴があいており、その穴のまわりの服地は、焼《や》け焦《こ》げになっていた。
ピストルの弾丸《たま》は、背中をうちぬき、うしろの壁かざりをつきぬけ、壁にめりこんでいた。それを掘りだして調べてみたところ、そのピストルは、よく普通に見かけるブローニングやコルトのものではなく、口径《こうけい》のずっと小さい特殊のものだった。それは多分ピストルの形をしないで、他の物品に似せて作ってあるもののように思われた。たとえば万年筆の形をしたピストルだとか、扇子《せんす》の形をしたピストルだとかを、暗殺者はよく持っているが、そんな風なものにちがいない、そういう物品に似せるためには、どうしても弾丸の口径を細くしなければならない。自然《しぜん》、火薬も少量しか使えないので、そういうピストルは、殺す相手の身体にぴったりとつけて発射しないと、弾丸が身体の中へはいらない。
「犯人は、只者《ただもの》じゃない。チャン爺さんを殺すことなんか、鶏《にわとり》の首をしめるほどにも感じなかったんだろう」
警部は、そう思って慄然《りつぜん》とした。
老人は、帳場の台をへだてて、客と向いあっていたらしい。それから老人は、奥へゆこうとして身体をすこし曲げた。そのときすばやく犯人が握っているピストルが老人の心臓を服の上からねらい、直《ただ》ちに引金がひかれたのにちがいない。老人の死顔には苦悩のあとも恐怖の表情もなく、おだやかな顔であった。そしてそのままそこに倒れると傷口からは血がとめどもなくふきだし、ついに店前まで流れていったのだと思われる。
それから犯人はどうしたか。それがさっぱり分らない。何か目星をつけてきたものがあって、それを取出して、すばやく逃げうせたものか、それとも老人を斃《たお》しただけで、すたこら逃げだしたものか、なんとも分らない。このへんで秋吉警部の捜査はゆき詰ってきたのであった。
しかたがないので、警部は、各署や水上署《すいじょうしょ》までに通告して、チャン老人殺しに関係あるあやしい人物があったら知らせてもらいたいとたのんだ。こんな方法では、運をたのむようなものだ。しかし証拠物が集らないし、事件の目撃者もあらわれないのだから、こんなことでもする外《ほか》なかった。
水上署には、外国船員にも気をつけてくれるように特に依頼した。だが、外国船員にあやしい者があっても、これを検挙するまでに持っていくことは容易なことではなかった。
秋吉警部はだんだんやつれていった。そして事件は迷宮入りらしく思われてきた。
もしも、チャン老人が殺される日、あの店をたずねた客たちが名のってでるなら、警部は有力な手がかりをつかんだであろう。しかし誰も名のってでるものはなかった。むりもない。かかりあいになるのを恐れてのことだ。
金谷《かなや》先生しゃべる
海岸通り横丁《よこちょう》の老骨董商殺《ろうこっとうしょうごろ》しのニュースは、その翌朝には、新聞記事になっていた。
春木少年や牛丸少年の組をあずかっている金谷先生も、この新聞記事を読んだ。そしてすぐ気がついた。
「ははあ。あの店だ。昨日《きのう》飾窓《かざりまど》をのぞきこんだが、金貨の割れたのを、れいれいしく飾ってあった、あのがらくた古物商だ。
あの家の主人が殺されたんだな。それを分っていれば、もっとよく顔を見ておくんだったのに」
と、先生はすこしばかり残念であった。先生は登校すると、この話をとくいになって教員室にしゃべり散らした。
「白いひげを長くたらした爺さんなんですよ。いかにも小金をためているという風に見えましたね。そういえば、福々《ふくぶく》しい顔なんだけれど、どことなくきついところがあったな。やっぱり自分の悲惨な運命が、人相にあらわれていたんですよ」
こんな風に話すものだから聞き手の先生がたは、もっとくわしいことを聞きたがった。
「いや、それだけのこと。ぼくは、中へはいって見ようかと思ったんですが、連れの立花《たちばな》先生がいやな顔をしているので、それはやめましたよ。あのときはいっていれば、もっと諸君におもしろい話ができたんだがなあ」
金谷先生がそういうと、聞手《ききて》の先生たちはみんな笑った。
そこへ立花先生がはいってきた。
「まあ、みなさん、なにをそんなにおもしろがっていらっしゃるんですの」と、にこにこしてたずねた。
「あはは。金谷先生が、例の殺されたチャンという万国骨董商《ばんこくこっとうしょう》の店を、昨日のぞいたというんです」
「まあ、いやなことですわ」
と、立花先生は、美しい眉《まゆ》をひそめた。
「金谷先生は、あの店主が殺されると分っていたら、店の中へはいって、しげしげと見てくるんだったなどというもんだから、みんなで笑っていたところなんです」
「気味のわるい
前へ
次へ
全61ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング