ャンの店内へはいって、老主人の名を呼んだ。
 チャンの返事はなく、ただ籠の中で、小鳥がチチチと鳴いていた。
「どうしたんやろか、チャンさんは……」
「あっ、こんなところに倒れている」
 店の奥に、老商は朱《あけ》にそまって倒れていた。心臓の上にピストルで撃ったらしいひどい傷あとがあった。そしてそのまわりには、服の上に焼け焦げが丸くできていた。もちろんチャンは絶命していた。誰が、いつの間に、老商をこんなに冷い死骸《しがい》にしてしまったのであろうか。


   迷宮入《めいきゅうい》りか


 かわいそうな万国骨董商チャン老人殺しのニュースは、たちまちこの港町のすみずみまでひろがった。
「なんというむごたらしいことをする犯人だろう。あの老人は家族もなく、さびしく小鳥と住んで、あの店をやっていたのに、ああ気の毒だ」
 老人を見知っている人々の中には、こういってその死をいたむ者もいた。
「チャン爺《じい》さんは、あれでそうとうなもんだよ。こっちが売りに持っていった品物は二束三文《にそくさんもん》に値ぎりたおす。それをあとで磨きにかけて、とほうもない高値で、外国人などに売りつけるんだ。足もとにつけこむのは、得意中の得意さ。あんまりもうけすぎるから、こんどみたいな目にあうんだ」
 そういって、にくまれ口をきく者もいた。
「いや、それは商売上手《しょうばいじょうず》というものだ。そんなことでなにも爺さんは殺されることはないんだ。ああして殺されたのは、爺さんがひどいことして集めた宝石の中に、おそろしい呪《のろ》いのかかっているダイヤモンドがあったんだ。それは元、インドの仏像《ぶつぞう》のひたいにはめこんであったのを、ある悪い船のりがえぐり取って、盗んでいった。そしてそれをチャン爺さんに売りつけた。するとインドの高僧《こうそう》が船のりに化《ば》けてはるばる取返しにきたんだ。爺さんはすなおに返さなかったもんだから、あのように、えいッと刺し殺された」
「ちがうよ。ピストルで撃たれたんだ」
「あ、ピストルか。ピストルでもいいよ」
「ほんとかい、その話は」
「つまり、そうでもあろうかと、わしは考えたんだがね」
「なんだ。ひとが事件に熱中しているのをいいことにして、うまくかついだね」
「とにかく、あの爺さんは、叩《たた》けばほこりがでる人物だ。犯人は永久に分らないよ」
 たしかにそのとおりで、犯人の目星《めぼし》がさっぱりつかないので、この事件を担当している、秋吉警部《あきよしけいぶ》はいらいらしていた。
 彼は、チャン老人の絶命の三十分あとへ現場へついて、さっそく捜査の指揮をとったのであるが、血の流れている店内は、事件発見者の少年のしらせで駆けつけた近所の人たちによって、すっかり踏みあらされていた。犯人をつきとめるための証拠《しょうこ》が、これではつかめない。警部は困ってしまった。
 それに、チャン老人は、店内にひとり住んでいたので、当時の店内の様子を証言する者がいなかった。向う三軒両隣はあるけれど、今日はチャン老人が殺害されると分っているなら、老人の店に出入りする人物に注意を払っていたであろうが、そんなことはあらかじめ分っていなかったので、誰も正確に出入りの人物を証言する者がなかった。おそらく犯人は、そういう事情をのみこんでいて兇行《きょうこう》したのであろうと、秋吉警部は考えた。
 店内をしらべて、何が盗み去られたかを調査した。
 その結果が、またはっきりしないのであった。なにしろたくさんのこまごました物がある。その品物の目録《もくろく》などはなかったから、何と何とがなくなったんだか分らない。
 金庫は閉っていた。この中を調べたが、これもまたはっきり分らない。金庫の中には、日本の紙幣やアメリカの紙幣などがしまってあった。これだけが有金全部《ありがねぜんぶ》であったのか、それとも犯人はその一部を盗んでから、金庫を閉めて逃げたのか、どっちとも分らなかった。
 かれ秋吉警部には興味のないことであったが、読者には興味のあることがらを、ここで一つ述べておこう。それはアメリカの紙幣で千二百ドルがそっくりそこに残っていたことである。これは犯人がどういう種類の人物であるかを判断するのに、一つの参考となる。――秋吉警部は、気の毒にも、そのような資料をつかむ機会にめぐまれていないのだ。
 そこで警部の注意力は、もっぱらチャン老人の致命傷《ちめいしょう》と彼の死んでいた場所とその身体の恰好《かっこう》にそそがれた。
 ピストルで心臓のまん中を見事に撃ちぬかれたのが、老人の死因だった。老人は声もたてずに死んだのであろう。
 ピストルは老人の胸に向けられ、その銃口は老人の服にぴったりとふれていたにちがいない。その状況で、ピストルは発射されたのだ。だから銃口のあたっていた
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