らしい飲料だった。
「ああ、おいしい……」
道夫は、思わずそういった。
「あと五分間もすれば、すっかり元気になるよ。その間に、僕は君のため、何か食べるものを作ってこよう」
そういって紳士は、道夫を長椅子へそっとねかすと、部屋をでていった。
道夫が元気をとりもどすまでには五分間もかからなかった。彼は間もなく起上った。身体のだるさが消え、頭痛もかるくなった。なんというすばらしい飲料だったことか。もう一ぱい呑ませてくれるといいんだがと、道夫は舌をだして唇のまわりをなめた。
そのとき、ぽっぽっと、鳩時計が時をうちはじめた。八時であった。八時! すると午前八時か、今は。……いつの間にか一夜は明け放れてしまったと見える。家では心配しているだろう。いったいどうしてこんなところへきたのか。そうだ多摩川の堤《どて》の下に、例の老人の浮浪者を見つけて追いかけていくうちに、あっと思う間もなくおとし穴へ落ちて……それから先の記憶がない。
はて、いったいこの家はどこの家だろうか。そしてさっきでてきて、おいしい飲料を呑ませてくれた紳士は、いったい何者であろうか。道夫は、そこであらためて部屋の中をものめずらしげにぐるぐる見まわした。
りっぱな洋間だ。電気ストーブをはめこんだ壁、しぶい蔦《つた》の模様の壁紙、牧場の朝を画いてあるうつくしい油絵の大きな額縁《がくぶち》、暖炉《だんろ》の上の大理石の棚の上には、黄金の台の上に、奈良朝時代のものらしい木彫の観世音菩薩《かんぜおんぼさつ》が立っている。
そういう調和のとれた隙のないこの洋間に、ただ一つ不調和に見えるものがあった。それは、部屋の奥にふかく垂れ下っている、紫色の重いカーテンだった。そのカーテンは、どうやらその奥にある別の部屋の入口をかくしているものらしい。
と、部屋に人の気配がした。紫のカーテンに目を釘づけにしていた道夫は、はっとして、後をふりむいた。例の紳士が、銀色の盆の上に、焼いたパンと、卵の目玉焼きと、それから大きなコップに入った牛乳とをならべたものを持って道夫の方へ近づき、小|卓子《テーブル》の上においた。
「さあおあがり、お腹《なか》がすいたろう」
「あなたは、いったいどなたですか。そしてここはどこです。僕はどうしてこんなところへきたのでしょうか」
道夫は、食欲をひどく感じたけれど、その前にたしかめておくべきことをた
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