しかめないでは、盆の方へ手をだすつもりはなかった。すると紳士はにっこり笑って、
「穴の中で、君がうなっていたから、引っぱりあげて、家へつれてきたのさ。くわしいことはゆっくり話そう。まず食事をしたまえ」
 といって、自分はポケットから煙草《たばこ》をだしてライターでかちりと火をつけた。
 道夫は、もっとがんばろうかとも思ったが、なにしろお腹はぺこぺこで、そして目の前の卓上にはおいしそうな卵の目玉焼きが、道夫の大好きなハムの上にゆうゆうと湯気をあげているので、もうがまんができなくて、思い切っていただいてしまうことにした。毒が入っていはしまいかとも心配になったがまあそんなことは多分ないであろうとおもって、フォークとナイフとを手にとった。
 実においしい。しばらく道夫は半《なか》ば夢中でたべていたがそのうちふと気がついて、ひそかに自分の左に座って煙草をふかしているかの紳士の方へ注意を向けた。
 その紳士は、ねむったようにしずかに椅子に身体をうずめていた。が、もちろん彼はねむっているのではなかった。煙草の煙は、さかんにたちのぼっていたし、それにかの紳士は膝《ひざ》の上に本をひろげて読みふけっているのであった。どんな本? 道夫は好奇心をつのらせて、その本の頁《ページ》の上を見た。すると、それは文字を印刷した本ではなく、ペンでもってこまかい外国の文字が、ぎっちり書きこんであった。それと同時に道夫は、はっと気がついた。
(ああ、あれは雪子姉さんの研究ノートじゃないんだろうか?)
 もしそうだとしたら、問題の研究ノートを所有しているこの怪紳士は一体何物であろうか。フォークもナイフも、いつの間にか道夫の手にしっかり握られたまま動かなくなっていた。

   奇妙な実験

「ははは、びっくりしているね、道夫君。僕が木見さんのお嬢さんの研究ノートをひろげて見ているものだから……」
 怪紳士は、そういってにやりと笑った。道夫は声もでなかった。背中がぞっと寒くなった。
「元気になったところで、われわれの仕事を急ごうね」
「……」
「道夫君。この際つまらんことは一切考えたり、迷ったりしないことだ。われわれは一直線に木見学士を救いだすことに進まねばならない。君は僕のさしずするとおりにやってくれるね」
「はあ、でも……」
「でもそれがよくない。疑ったり迷ったりしていると、もう間に合わないかもしれない」
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