してまことに情なく思う次第です」
 雪子の父親の木見武平《きみたけへい》は、そういっそ川北先生と道夫の訪問に礼をのべたが、しかし、禍《わざわい》が先生と道夫の上に降りかかるようなことがあっては心苦しいからと武平は灰色の頭をふって、辞退の意をもらした。
 しかし川北先生は、それは心配無用と答え、とにかく当局とは違った考えがでるかもしれないから、ぜひお嬢さんの研究室を見せてくれるようにたのんだ。
 これには武平も応じないわけにはいかなかった。それで二人をそちらへ連れていった。暗い長廊下を通って、別棟《べつむね》になっている研究室の扉までくると、武平は懐中から鍵をだしてそれを開いた。ぷーんと、薬品の匂いが、入口に立つ三人の鼻を打った。
「暗いですね、電灯をつけましょう。はてどこにあったかな、スイッチは……」
「小父《おじ》さん、ここにありますよ」
 道夫は、この研究室へよくきたことがあるので、案内には明るかった。彼は入口の戸棚の裏になっている壁スイッチをぴちんと上げた。と、室内は夜が明けたように明るくなった。
「ほう、これは……」
 川北先生が、思わず歓声《かんせい》を発した。先生はこの研究室の豪華さにおどろいたのであった。部屋の広さは十坪以上もあろうか、天井も壁も良質の白亜《はくあ》で塗装せられ、天井には大きなグローブが三つもついていて、部屋に蔭を生じないようになっていた。大きな実験台が、入口と対頂角をなしたところにすえてあり、電気の器具がならび、その向う側には薬品の小戸棚を越えてレトルトや試験管台や硝子《ガラス》製の蛇管《じゃかん》などが頭をだしていた。その左側には工作台があり、工作道具や計器の入った大きな戸棚に対していた。壁という壁は、戸棚をひかえていたが、大きな事務机が、部屋の右手の窓に向っておかれてあり、その右には書類戸棚が、左側には長椅子《ながいす》があった。また部屋の中央には、丸卓子《まるテーブル》があってその上には本や書類や小器具などが雑然と置いてあった。大理石の手洗器が、実験台の向うの隅《すみ》にあり、壁には電線の入った鉛管が並んで走っていた。個人の研究室としては実に豪華なものであった。
「こっちに図書室があります」
 武平は、部屋の東側の壁にかかっている藤色のカーテンをかかげて、その中へ入っていった。そのときであった。川北先生が道夫の身体をついて、ひく
前へ 次へ
全67ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング