足掛りとして、思い切って会ってみることにした。さあ、どんな男だろうか。一と目見て心臓が凍ってしまいそうでもあり、また早く覗いてみたいようでもあり……。
「妾が主人の珠枝でございます――」
 頃合を計って客間へ這入《はい》っていった妾は、客という背広の紳士の背中に声をかけた。
「いやア――」
 と紳士は、居住いを直しながら、こっちを振り向いた。ああ、その顔――まあ、なんてよく似ている人もあればあるものだろう――と、妾は驚くというよりも感心してしまった。
「ああ確かに貴女だ。こんなによく似ているとは思わなかった。ああ僕は満足です――」
 と向うでも容貌の似通っていたことに驚歎して、たて続けに叫びつづけた。
「アノ、失礼でございますが、貴方は誰方《どなた》さまでいらっしゃいましょうか」
「ああ、僕ですか。イヤどうも余りに驚いてしまった、名乗ることを忘れて申訳ありません」
 と云いながら、紳士はチョッキのポケットから一葉の名刺を抜いて、妾の前に差出した。
「僕はこういう者です。姓の方に何か御記憶がありませんでしょうか」
 その名刺の表には、
「南八丈島医学研究所、医学博士|赤沢貞雄《あかざわさだお》」
 とあって、隅の方に「東京府八丈島庁管下」と記してあった。するとこの紳士は赤沢貞雄と名乗る人である。赤沢という姓? ああ赤沢といえば……。
「赤沢というと徳島の安宅の……」
「そうです。よく覚えていましたネ。僕は赤沢常造の息子なんですが、父だの僕だのを覚えていらっしゃいますか」
 妾は突然故郷のことを云いだされて、ボーッとなってしまった。しかし赤沢の伯父のことは、何で忘れよう。いつもその伯父は、わが家へ繁く来たではないか。貞雄――という名にも、なるほどそういわれると覚えがあった。伯父のうちに、自分と同じ年の少年がいて遊んだことを思い出した。あれがこの紳士なのであろうか。当時貞雄さんはまだ五六歳の幼童で膝までしかない鶯色《うぐいすいろ》のセルの着物を着た脆弱そうな少年だった。彼はいつも寒そうに、両手を腋《わき》の下から着物の中にさし入れて、やや羞含《はにか》んで歩いていたのを思い出した。
「まア貞雄さんでしたの。大きくなられて――妾すっかりお見外《みそ》れをいたしましたわ」
 貞雄は笑いながら、この前は、妾の家を探すのにたいへん手間どってやっとこの家を探しあてたので、待たせてあった円タクを帰すために一度出て行って間もなく引返してくると、お手伝いさんから面会を断られてしまったので、たいへん面喰らったこと、そのとき北海道の大学へ打合わせにゆく途中だったので、また帰り路に寄ればいいと思ってそう云い残してさようならをしたことなどを語った。それを聞いていた妾は、あの夜の心境を想い出して、穴あらば入りたいと思ったことであった。
「でも、どうして名前を云って下さらなかったの。赤沢と仰有《おっしゃ》れば、妾必ず出ていったと思うわ」
「イヤそれはネ。貴女に会って驚かせたかったのさ」
 というわけで、二人は直ぐ幼馴染の昔にかえって、打ち融けた。妾は近頃うち続く不安が、貞雄の不意の来訪によって大半拭い去られたように感じたのだった。
 聞けば貞雄も、妾と同じように二十三歳だということだった。彼はどうやら秀才中の秀才らしく本年学校を出ると、在学中からの研究事項だったものを一層研究するつもりで、断然南八丈島研究所へ赴任したのだった。何の研究であるのかを訊ねたところ、
「ちょっと説明しても分らんなア。まア遺伝学みたいなものだが、今までのようなものではない。……イヤもうよしましょう。それよか今日は御馳走でもして貰って、昔話でもしたいネ」
「ええ、御馳走してよ。そして是非泊っていって下さいネ。昔話を沢山したいわ。妾もいろいろ伺いたいことがあるのよ」
 丁度、妹の静枝は、少し身体を壊している女探偵速水女史に附き添わせて、奥伊豆の温泉にやってあるので、家の中はキヨと二人切りだったので、貞雄を泊らせるには一向差支えなかった。
「いや泊ることだけは断る。僕はこれで、ひとの家にお客なんかになっては中々睡れない性分なのでネ。それにチャンとホテルに部屋をとってあるのだから、心配はいらないよ」
「いいから、ぜひお泊りなさいよ」
「いやいや断る。――」
 小さいときもこんな性分だったが、とにかく今の貞雄は学者だけあってなかなか頑固であった。妾は近くから珍らしい料理を狩りあつめて貞雄を饗応《きょうおう》しながら、この機会に妾の悩みを打ちあけて、力になって貰おうと思った。
 まず妾は貞雄に向い、あの立葵の咲く家の座敷牢の中に寝ていた妾の同胞《はらから》を探したいという気になって新聞広告をしたことから始めて、静枝や真一などが現れるに至ったまでの話を詳しくして、もしや彼が、妾の同胞を知らないかと尋
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