ねた。
「どうも小さい折のことで、僕はよく覚えていないけれど、いつか夜、父が子供を連れて来たことを覚えている。僕はその顔をみたわけではないが、二階に上げた子供がヒイヒイと泣いているのを聞きつけた。それが君のいう座敷牢の中にいた同胞だろうと思うが、泣き声から想像すると、二人のようでもあったがネ」
「ええなんですって、連れられていったのは二人だったんですって、まア、――」
 妾は想像していたところと、まるで、違ってきたので、呆然としてしまった。向うが二人だとすると、妾を入れて三人になるではないか。すると双生児と称《よ》ぶのはいかがなものであろう。それを貞雄に云ってみると、
「幼いときのことだから、ハッキリしたことが分らないんだ。それに父の常造も先年死んでしまったし、母はもっと前に死んでいた。今、安宅村へ行っても、その夜のことや、君の同胞の秘密について知っている人は一人もあるまい」
「そうでしょうか。――」
 妾はガッカリしてしまった。その様子を見ていた貞雄は気の毒に思ったのであろう。すこし厳《げん》とした声で、
「でも君の知りたいと思っていることは、絶対に分らないというわけではあるまい。つまりそれは学問の力によることだ。もし君が欲するならば、僕はいかなる手段によってでもその答を探し出してあげようと思う。そう気を落したものでもないよ」
「分る方法があれば、どんなことをしてでも探しだしていただきたいわ。妾、これが分らないと死んでも死に切れないと思うのよ」
 と妾は切《せつ》なる願いを洩らした。それは自《ひとりで》に妾の口を迸《ほとばし》り出でた言葉だったけれど、このとき云った、(どんなことをしてでも探しだしていただきたいわ)という言葉が、後になってまさか大変な妾への重荷になろうとは露ほども気がつかなかった。それがどんなに恐ろしい重荷となったかは、この物語の進んでゆくに連れ、だんだんと明白になってくることであろう。
「でも可笑《おか》しいわネ。女探偵の速水さんは、徳島へ行って、静枝という妹を探して来たのよ。安宅へ行ったところ何もかも苦もなく分ったようなことを云ってたけれど……」
 というと、貞雄は首を振って、
「どうもその女探偵というのが怪し気だネ。これから一度行ってみると分るだろうが、いまそんなに簡単に分る筈はないと思う。それから『海盤車娘』の真一君の死因だが、これなどは随分不審な点があるネ。たとえば速水女史が水壜の水を早速明けに行ったというのも妙なことじゃないかネ。どうだい珠枝さん。その壜とかコップとか、或いは水の零《こぼ》れを拭《ぬぐ》った雑巾《ぞうきん》とかいうものは残っていないかしら」
 貞雄が抱いている疑惑の点を、妾はすぐに察することが出来た。彼は真一の死を中毒死だと思っているのだ。それは貞雄があの部屋の中で口にしたと思われるその水壜の中に一切の秘密があると云うらしい。
「そんなものは、その場で始末してしまったから、有る筈はなくてよ」と云ったものの、よく考えてみると、妾はあの夜離座敷を大急ぎで片づけたことを思い出した。あのとき部屋の中の品物を仕舞ったトランク類はその儘《まま》土蔵の奥深く隠してしまって、その後は一度も開いたことがないのであったが、ひょっとするとそのトランクの中に、なにか当時の隠れた事実を証明するようなものが入っていないとも云えないと思う。そう考えた妾は、恥かしいけれど一切のことを貞雄の前にさらけだした。
「ああそんなものがあるのなら、一度出して検べてみたらどうだネ」
 流石《さすが》に医者である彼は、変態的な妾の生活など嗤《わら》う様子もなく、真面目に聞いて呉れたのだった。だから妾はすぐさまそのトランクを開いてみる決心をして、貞雄を案内して黴臭《かびくさ》い土蔵の中に入っていったのであった。


     9


 貞雄の云ったことは正に図星《ずぼし》だった。
 妾たちはトランクを一つ一つ開いてゆくうちに、その一つの中に、あの夜真一が水を飲むに使った大きいコップを発見した。それは狼狽《ろうばい》のあまり妾が他の品物と一緒に抛りこんでしまったものに違いなかった。
 貞雄は、そのコップを取り上げて、明りの方に透かしてみたり、ちょっと臭を嗅いでみたりしていたが、やがて妾の方を向き、
「珠枝さん、ハッキリは分らないが、どうやらこれは砒素《ひそ》が入っていたような形跡がある。無水亜砒酸《むすいあひさん》に或る処理を施すと、まず水のようなものに溶けた形になるが、こいつは猛毒をもっている。普通なら飲もうとしても気がつく筈だが、当人が酒に酔っているかなにかすれば、気がつかないで飲んでしまうだろう。砒素は簡単に検出できるから、あとで検べてみよう。しかしまず間違いないと思うネ」
「まア、水瓶の中に砒素が入っていたの、まア恐ろしい
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