ない若衆がいて、前日までの長雨に大湿りの来た筵《むしろ》を何十枚となく乾し並べていたので、妾はそれに声をかけた。そしてこれが紛《まぎ》れもなく銀平の率いる曲馬団に相違ないことを知ったが、丁度幸いにもいま座長の銀平老人は、古幟《ふるのぼり》で綴《つづ》った継《つ》ぎはぎだらけの垂れ幕の向うに茶を飲んでいるということであったから、妾は思いきってズカズカと中に這入《はい》っていった。なるほどそこには浮世の苦労を嘗《な》めつくしたというような顔をした小柄の半白の老人が、ただ独りで渋茶を啜《すす》っていた。
「ナニ、昔咄《むかしばなし》を聞きたいというのですかい」
 と銀平老人は一向|駭《おどろ》きもせずに、
「汚穢《きたなら》しいが、まアとにかくこっちへお上りなすって……」
 といって筵の上へ招じた。
 妾の不意の訪問も、この佗《わび》しい休演中の座長の老人を反《かえ》って悦ばせたらしい。思いがけなく熱い茶を御馳走になって、この老人の行い澄ました心境を覗いたような気がして物を言いだすのに気持がたいへん楽であった。
「もとこの一座にいたという海盤車娘《ひとでむすめ》を御存知?」
「ああ、海盤車娘かネ。海盤車娘もたくさんいるが、どの娘かネ」
「娘と名はついているが、本当は安宅真一という男なんですが……あの肩のところに傷跡の残っている……」
「ああ、真公のことかネ。あいつはついこの間まで居たが、とうとうずらかりやがった。あっしとしては、これんばかりの小さいときから手がけた惜しい玉だったが……貴女さんはなぜ真公のことを訊きなさるのかネ」
 そこで妾は、真一が頼ってきて遂に死んだ話をした後、始め真一が幼いときの身の上ばなしをしたが、何かほかに銀平老人が知っていることはないかと訊ねた。
「ああ、真公の生立《おいた》ちが知りたいというのだネ。あれは今からザット十五六年も前、四国の徳島で買った子だったがネ。当時はなんでも八つだといったネ。病身らしい子で、とても育つまいかとは思ったが、肩のところにある瘤《こぶ》が気に入って買ってしまったのさ」
「誰から買ったんですの」
「さあ、そいつは誰だったか覚えていないが、とにかく何処の国にもある人売稼業の男から買った」
「その親は誰なんでしょう」
「さあ、その親許《おやもと》だが」
 と老人は暫く考えていたが、「さあ、後に開演中の客席から大声をあげて飛び出して来た若い女がいたがネ、それがなんでも生みの母親とか云っていたが家出している女らしかった。父親というのは徳島の安宅村に住んでいるとか云ったが、その苗字《みょうじ》は……」
 と老人は首を曲げて思い出そうと努めているらしかった。妾は銀平老人の話を聞いているうちに真一の語った身の上が想像していたよりも正確であり、妾にとって実に興味のある話であることが分った。
「苗字は安宅というのじゃありませんの」
「イヤ安宅は後になってあっしがつけてやった名前だよ。真公の生れた村の名だからいいと思ったのでネ。さて、本当の苗字はちょっと忘れちまったネ。なんしろ古いことでもありあまり覚える心算もなかったのでね。ひょっとすると、梱《こうり》の底に何か書附けとなって残っているかもしれない」
 妾は老人に十分のお礼をするから、その書附を探してくれるように頼んだ。妾はそれから、蛇使いのお八重という女を知っているかと尋ねた。
「ああお八重かネ。あいつも先頃までいたが、可哀想なことをしたよ」
「可哀想なことというと……」
「なに、あの女は真公に惚《ほ》れてやがったが、真公が居なくなると気が変になってしまって、鳴門《なると》の渦の中へ飛びこんでしまったよ」
「まあ、誰か飛びこむところを見たんですの」
「見たというわけじゃないが、岩頭に草履《ぞうり》やいつも生命よりも大事にしていた頭飾りのものなどを並べてあったのを見つけたんだ。それから小屋の中からは、皆に当てた遺書が出て来たが、世を果敢《はかな》んで死ぬると、美しい文字で連《つら》ねてあった。あの子は仲間の噂じゃ、女学校に上っていたことがあるらしいネ」
「死骸は上ってきたんでしょうか」
「さあ、どうかネ。――なにしろあっし達は旅鴉《たびがらす》のことであり、そうそう同じ土地にいつまでゴロゴロして、出奔《しゅっぽん》した奴のことを考えている遑《いとま》がないのでネ。それと鳴門の渦に飛びこめば、まあ死骸の出ることなんざ無いと思った方がいいくらいだよ」
 この話では、蛇つかいのお八重はインテリ女らしい。すると、やはりあの静枝はこの蛇つかいのお八重なのであろうか。そこで妾は彼女の素性《すじょう》を訊ねたが、あの娘は二年ほど前に突然一座に転げこんで来たので、前身は知らないと老人は答えた。またそのお八重が申年《さるどし》かどうかも知らなかった。
 妾は、果して
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