と証明する材料もないのだ。それよりも妾には真一がここで死んでいることが迷惑千万であったのである。――妾は偽りなくその心境を語った。
「これは奥さまの想像していらっしゃるよりも面倒なことになると存じますわ。お世辞のないところ、奥さまの立場は非常に不利でございますわ。お分りでしょうけれど。ことにこの部屋から物を持ちだして証拠湮滅《しょうこいんめつ》を図ろうとなさっていますし(といって廊下のトランクのことを指し)その上に真一さんが横《よこた》わっている寝具は誰が見ても奥さまの寝具に違いありませんし、それからこの部屋に焚《た》きこめられた此のいやらしい挑発的な香気といい……」
「ああ、もうよして下さい」
 と妾は女史の言葉を遮《さえぎ》った。彼女は何もかも知っているのだ。この上妾は黙って聴いているにたえなかった。たとえ妾に恐ろしい殺意がなかったにしろそれを証明することは面倒なことだし、それに妾が寝室へ曲馬団崩《きょくばだんくず》れの若い男を引入れたことが世間に曝露しては、妾の生活は滅茶滅茶になることがハッキリ分っていた。それは自分を墓穴に埋めるに等しかった。どうして堪えられよう。
「速水さん。お願いですから、智恵を借して下さい。十分恩に着ますわ」
「さあ――わたくしも奥さまを絞首台にのぼらすことも、また社会的に葬ることも、あまり好まないんでございますが――」
 と女史は意地悪いまでの落着きを見せて、
「でも困りましたねえ――」
「お礼なら十分しますわ」
「いや銭金で片づかないことでございます」
 と突っぱねて、
「といってこのままでは絞首台の縄が近づいてくるばかりで……ああ、そうですわ、仕方がありませんから、妾の親しい医師の金田氏を呼びましょう。彼に頼みましてこの場をあっさりと死亡診断させてしまいましょう」
 この女史の提案を受けて妾はああ助かったとホッと息をついた。この場がうまく治まりさえすればいい。真一の屍体が火葬炉の中で灰になってくれさえすればそれで万事治まる。妾は女史に謝意を表して早速その金田医師を呼んでくるように頼んだ。女史は別人のように快く引受けると、すぐその手配をしてくれた。
 やがて金田医師というのが、駈けつけてくれた。彼は真一を申し訳に診ただけで、
「心臓麻痺――ですな。永らく心臓病で寝ていたということにして置きますから……」
 といって、その旨をすぐに死亡診断書に認《したた》めてくれた。
「ああ助かった――」
 と妾はそこで始めて胸を撫で下したのであった。
 それが済むと、金田医師は手馴れた調子で屍体をアルコールで拭ったり脱脂綿を詰めたりして一と通りの処置をした。速水女史もクルクル立ち廻ってその辺を片づけてくれた。そして枕許にあった冷水の壜《びん》などは、わざわざ持っていって下水に流し、中を綺麗に洗ってもって来るなどと、実にまめに立ち働いた。妾はそれ等をただ呆然と見つめているばかりだった。
 丁度そこへ、静枝が外から帰ってきた。彼女は玄関を上ると、今まで速水女史の家で、女史が再び帰ってくるかと待ち合わせていたものの、待ち倦《あぐ》んで引返してきたのだと声高に述べたてていたが、真一の突然の死をお手伝いさんから聞くと、驚いて離座敷に駈けつけてきた。その顔は真青だった。


     6


 妾の気がすこし落着いたのは、それから十日ほど経ったのちのことだった。
 真一の屍体は納棺して密かに火葬場へ送って焼いた。その遺骨はお寺へ預けてしまった。ささやかなる初七日の法要もすんで、やっと妾は以前の気持を取りかえしたのだった。
 あれほど気にかかっていた「三人の双生児」の謎も、解けない儘《まま》に、そう気にならなかった。それよりも突然に死んだ真一の死因を早く知りたかった。
 真一は病気のために頓死したのであろうか。いやいやあのように元気だった彼が頓死するようなことはない。それよりも問題は彼の枕頭に転がっていた空《から》のコップのことだ。コップで当り前に嚥《の》んだものなら、盆の上に戻されていなければならないと思うのに、コップが空になって畳の上に転がっていたのは可怪しい。コップから水を嚥んで、下に置こうというときに異変が起ってコップを手から墜《お》としたら、ああもなるのではないかと想像される。ではその異変というのは何であろう? それは嚥み下した水の中に、なにか毒物が入っていたというような訳なのではあるまいか。
 仮りにそれが本当であったとしたらば、その水瓶の中の毒物は一体誰が投げこんだものであろうか。その恐ろしい犯人は誰なのであろうか。誰が真一を殺さねばならない特殊の事情を持っていたのだろうか。
 まさか妾の全然知らない人物が入りこんで殺していったとは考えられない。どうしても犯人はわが家に出入する人物の中にあるのだと思う。その点
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