になった文字がつらなっていた。それを読むと、おどろくべきことが書いてあった。
     *
 この中には小杉正吉《こすぎしょうきち》という勇敢な少年が冷凍《れいとう》されている。彼は本年十三歳である。彼は二十年間この中で冷凍生活を続けた後、ふたたび世の中へ出たい希望である。この球を発見せられたる人は、この球が封印《ふういん》したるときより二十年以上たっていることをたしかめた後、この少年を冷凍球の中からとりだしていただきたい。それはむずかしいことではない。この底のBとしるした金属板を焼ききると、その中には電気のプラグがある。そのプラグへ五十サイクル交流電気を百ボルトの電圧《でんあつ》で供給すれば、四十八時間後には、自動的に球がひらいて、小杉正吉少年が出て来るであろう。それまでの四十八時間は、静かにこの球をおく以外に何も手を加えてはならない。[#地付き]昭和二十二年八月十三日
     *
 たいへんな拾い物だ。この球の中には、少年が冷凍されているのだ。二十年たったら、ふたたび世の中へ出て来たいのだという。
 二十年どころか、もう三十年もたっている、早く出してやらなくてはならない。しかし人間を冷凍する技術が、今から三十年も前にすでに考えられていたとは、大した発見である。と、登山者の一人であるカンノ博士はおどろいた。
 相談の結果、この大きな拾い物は、東京へ持ちかえることとなった。
 博士は、携帯無電機《けいたいむでんき》を使って、東京へ電話をかけた。五トンぐらいのものがらくにもちあがるヘリコプター(竹とんぼ式飛行機)を一台至急ここまでまわしてくれるように、航空《こうくう》商会の千代田支店に頼んだ。
 二十分ほどすると、空から一台のヘリコプターがゆうゆうと下りて来た。頼んだのりものであった。カンノ博士たちは、ハンカチーフをふった。
 着陸《ちゃくりく》したヘリコプターの貨物庫《かもつこ》の中に、金属球を入れた。それから博士たちは客席へ入った。ヘリコプターは間もなく離陸して、東京へ向った。
 とちゅう相談の結果、拾った金属球はヤク大学の生理学部の大講堂へ持込み、そこで開くことにきめた。カンノ博士は、その学部の教授だった。
 他の三人は博士の友人だったが、婦人は通信技術者、男の一人は音楽家、もう一人は小説家だった。
 いよいよ金属球を開く日が来た。
 大講堂は大入満員だった。
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