彼は、こんどは失敗しないで、段の上へよじのぼることができた。そしてガラス天井に、はじめて手をつけた。それはひやりとして、思ったよりは、ずっと厚かった。
 失望するのは、死のちょっと手前のことにして、八木君はさっそくジャック・ナイフでガラス天井をつきあげた。
 きいーッと、いやな音がして、ナイフはガラスの表面をつるりとすべった。ガラスの方がナイフより硬いのだ。
 ナイフの柄《え》の方をかえし、それを金づちがわりにして、下から、がんがんとたたいてみた。ガラス天井は、そのままだった。ナイフの柄についていた角材がかけた。これもだめだ。
「まだもう一つ、やってみることがある。ガラス天井の端《はし》まで掘ることだ。そこまで掘れば、上にあがる穴ができるかもしれない」
 八木君は、最後の望みをこのことにかけていた。
 ガラス天井が土壁にささえられている。そこを横に掘っていくのだ。彼は、刻々にましてくる水面をにらみながら、ジャック・ナイフの刃《やいば》を水平にして、ガラス天井の下を横に深くえぐっていった。ナイフの刃とガラスがいきおいよくぶつかって、赤い火花が見えることもあった。そしてガラス天井の下は、だんだん奥深く掘れ、八木君のからだが横にはいれるほどになった。
 八木君はそれをよろこんだ。
 が、すぐ次に絶望が待っていた。
 というのは、土の壁の奥が、はっしと音がして、そこにあらわれたのは巨大なる岩であった。その岩を掘ることはできない。最後の希望をかけて、彼はガラス天井の端を上へおしあげてみた。だが重いガラス天井は、びくともしなかった。
「ああ、もうだめか」
 八木君ががっかりして頭をさげると、頭は濁水《だくすい》の中にざぶりとつかり、彼はあわてて頭をあげた。するとごていねいに、頭をガラス天井にいやというほどぶつけてしまった。
 水は、あと十センチばかりで天井につくんだ。彼の生命《せいめい》もついにきわまった。
 それまではりつめていた気持が、絶望と共にいっぺんにゆるんだ。八木君は意識をうしない、からだはぐにゃりとなって水の中に沈んだ。
 もう、おしまいだ。

   覆面の囚人《しゅうじん》

 だが、もし他の人がいて、この場の光景をもうすこし眺めていたとしたら、その人は、意外なる出来事にぶつかって、大きなおどろきにうたれたことであろう。
 八木君は、もはや死体のようになってガラス天井のすぐ下に水づかりになっている。八木君がそうなるすこし前から、ガラス天井の上では、ひとりの人物が活躍していた。
 その人物は、両足を重いくさりでつながれていた。そしてそのくさりの一端から、また別のくさりがのびて、太い鉄の柱をがっちりとつかんでいた。
 その人物は、昔西洋の僧侶《そうりょ》が着ていたようなだぶだぶの服を着ていたが、すそは破れて、膝のすぐ下までしかなかった。そしてやせこけて骨と皮ばかりになった足首を、鉄のくさりがじゃけんに巻いていた。その人物は、顔にお面をかぶっていた。頭の上から口のところまで、まっくろになった重そうなお面をかぶっていた。あごから下はお面はなかったが、そのかわりに、とうもろこしのようなひげがもじゃもじゃと、のび放題になっていた。
 そういう怪人物が、ガラス天井の上で、さっきから活躍していたのだ。
 彼は見かけにあわない力を、そのかまきりのようにやせさらばえた身体からひねり出し、鉄の棒をてこにつかって、大きな土台石《どだいいし》を動かそうとして、一所けんめいやった。
 その土台石の奥には、すでに大きな穴が用意されてあった。それは多分この鉄のくさりにつながれた怪しい囚人が、ひまにまかせて、これまでに掘っておいたものであろう。土台石の一個が、ついにくるりと一回転して、奥の穴へころがりこんだ。
 と、どっと濁水《だくすい》が侵入してきた。
 怪人は鉄の棒を放りだして、ガラス天井に腹ばいになると、岩がなくなって出来た穴の中へ、細い長い腕をつっこんだ。
 間もなく、怪人は、
「おおッ」
 と、うなった。そして全身の力をこめて、穴から何か引っぱりだした。もちろんそれは八木少年の身体であった。
 少年のずぶぬれになった上半身が、穴から出て来た。
 怪人は、ぎりぎりと歯ぎしりをしながら、両手をつかって少年の身体を、なおも引っぱり出した。
 それは成功した。
 八木少年は、意識をうしなったままではあるが、濁水から完全に救いだされ、ガラス天井の上にびしょぬれの身体を横たえた。
 怪人は、よほどつかれたと見え、八木少年のそばにどんと尻餅《しりもち》をつき、はっはっと大きく呼吸をはずませた。そのとき、怪人は苦しい呼吸をつくために、顔をあげた。すると彼が顔につけているお面がはじめてはっきり見えた。それは見るからにおそろしい死神のお面であった。まわりを黒い布でつつみ、その奥に、半ば骸骨《がいこつ》になった死神の顔がのぞいている――というマスクであった。
 何人であろうか、こんなおそろしいお面をつけて、こんなところに鉄のくさりでつながれているのは。
 かなり永い間、怪人は呼吸をはずませ、肩を波のように上下し、指でのどをかきむしり、苦しみつづけていた。そのうちに、ようやくおさまったものと見え、ふらふらと立ち上った。そして鉄の棒をとって、土台石を動しはじめた。元のように土台石を直そうというのであろう。
 八木君は、溺死《できし》したのではなかろうか。土台石を元へもどすよりも、早く八木君をかいほうしてもらいたいと、この際、誰でも思うであろう。ところが怪人は、そんなことは捨《す》ておいて、土台石を元のとおりに直すことに夢中になっているように見えた。そして、その間にも、ときどきうしろをふりかえって、このガラス廊下の入り口の方を気にしていた。

   語る怪囚人《かいしゅうじん》

 怪囚人は、一息いれると、八木少年のそばににじりより、気を失っている少年をよびさまそうとつとめた。
 少年は、やっと気がついた。そしてきょろきょろと、あたりを見まわした。
「あ、あなたは?」
 怪囚人は、しっかりと少年を抱《かか》えていて、はなさなかった。そして仮面をかぶった自分の顔を見られまいと、顔をそっぽに向けていた。
「もう心配ありません。きみの生命、助かりました」
 怪囚人は聞きにくいことばで、少年をなぐさめた。
「ああ、そうだった、ぼくが地下道の中で溺死《できし》するとき、あなたはぼくを助けてくだすったのですね。ありがとう、ありがとう」
「そうです。私、君を助けました。君はかわいそうでありました。私は自分のためにこしらえてあった、脱走《だっそう》の穴を利用して、きみを救いました」
「えっ、脱走ですって、あなたは誰です」
 八木少年は相手の腕をおしのけて、相手をよく見ようとした。怪囚人は、もはや自分の姿を見られることをさけようとはしなかった。
「おお、あなたは……」
 八木少年はびっくりして、うしろへとびのいた。おそろしい顔だ、太い鉄鎖《てっさ》でつながれている囚人だ。極悪《ごくあく》の人間なのであろう。なんというおそろしいことだ。
 だが、次の瞬間、八木少年は前へとび出すと、死神の面をかぶった囚人の膝に、がばとすがりついた。そして涙と共に、おわびをいった。
「すみません、あなたは、ぼくの生命の恩人《おんじん》です。その恩人に対し、ちょっとの間でも、ぼくがおそろしそうに、後へ身をひいたことはおわびします」
「その心配、いりません。私、おそろしい仮面をつけています。私の姿、おそろしいです。君がにげようとしたこと、むりではありません。しかし、私、悪者《わるもの》ではありません。不幸にして、悪人のためにとらわれ、ここに永い間つながれているのです」
「ああ、そうでしたか、いったい、どうしてそんなことになったのですか、あなたは、どこの何という方ですか」
「くわしい話、あとでいたします」
「今、話して下さい」
「今、話すこと、よろしくありません。そのわけは、たいへん急ぐ仕事があります。そしてその仕事は、きみの力でないと、できないのです」
 怪囚人は、そういった。しかし八木少年にはのみこみかねた。急ぐ仕事というのは、いったい何のことであろうか。これをたずねると、怪囚人は、こういった。
「おどろいてはいけません。この屋敷は、このままでは、あと一時間とたたないうちに、大爆発《だいばくはつ》をして、あとかたもなくなってしまいます」
「えっ、この時計屋敷が、あと一時間とたたないうちに大爆発をするんですって、それはたいへんだ。この屋敷には、たくさんの人たちがまよいこんでいるのです。ぼくの友だちも四人、この屋敷にはいっています。そういう人たちを助けてやらねばなりません。ああ、そうだ、その前に、ぼくはあなたを助けます」
「お待ちなさい、その人たちを助けること、なかなか困難《こんなん》と思います。それよりも、君に急いでしてもらいたいことは、その大爆発が起らないようにすることです」
「なんですって、この屋敷の爆発が起らないようにすることも、まだ出来るんですか。それはどうすればいいのですか」
「それは、今動いている大時計をとめることです」
「えッ、あの大時計をとめるって……あ、大時計は動いているんですね。いつ、あんなに動きだしたんだろう」
 八木少年は、どこからともなくひびいて来る大時計の時をきざむ音に、はじめて気がついて、おどろいた。
「大時計は、すこし前に鉦《かね》を三つうちました。このままでは、あと一時間ばかりして、四つうつでしょう。四つうてば、この屋敷は、こなみじんになるのです」
「それはどうしたわけですか」
「わけを説明しているひまはありません。君は早く大時計をとめて来るのです」
「いったい、どうすれば、あの大時計をとめることが出来るのですか」
「子供の力では、出来ないかもしれぬ。いや今、君に行ってもらう外に、方法はないのだ。もっとこっちへよりなさい。大時計の仕掛はこうなっている……」
 と、怪囚人は、鉄の壁へ、釘《くぎ》の折《お》れで、大時計の図をかきだした。

   大発見

 話は、四人の少年たちの方へうつる。
 地震のあとで、放《ほう》りこまれた部屋の一方の壁がするすると上にあがって、そのむこうにあらわれたのは、ほこりの積った古風な実験室みたいな部屋であり、そこに一つ額縁《がくぶち》が曲ってかかっていたが、その中の油絵はまん中が切りとられていて、なかったこと、そしてそれはどうやら人物画らしいことなど、すでに諸君の知っているところである。
「おどろいたね。どこへいっても、からくり仕掛ばかりの屋敷だ」
 あまり物事におどろかない五井少年も、こんどはおどろいた様子。
「なんだろう、この部屋は。錬金術師《れんきんじゅつし》の部屋みたいだが、おい、四本君。これは君のお得意《とくい》の科目だぜ」
 六条が、四本の背中をつっつく。
「ふん。たいへん興味がわいてくるね。でも、ぼくには、これがなにをする部屋だか、さっぱり分らないよ。どこから調べたらいいのかなあ」
 四本は、部屋の中を歩きまわる。
 もう一人の二宮少年は、あいつづいて起るおどろきの事件に、すっかり心臓を疲らせたと見え、ふだんのお喋《しゃべ》りがすっかり無口になって、青ざめた顔で、みんなのそばを離れまいとして、ふうふういいながらついてくる。
「ははあ、こんなものがあったぞ」
 四本が、とつぜん頓狂《とんきょう》な声をあげたので、のこりの少年たちは、彼の方へ寄っていった。
「これは何だか分るかい」
 と、四本が、棚に並んでいたガラス壜《びん》の一つをとりあげて、みんなに見せた。中には、黄いろ味をおびた、やや光沢《こうたく》のある結晶している石がはいっていた。
「知らないね。いったい、それは何だ」
「これは、昔から日本にもあるといわれてたが、そのありかはなかなか知れていない水鉛鉛鉱《すいえんえんこう》だよ」
「すいえんえんこう、だって。それは何だ」
 こうなると四本の話をだまって聞くより手がない。
「これは昔たいへん貴重なものとして扱われた鉱石なん
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