敲《たた》いた。
「ね、分るだろう。だから、あの新聞広告を見て愕《おどろ》いて、水甕を割ったり、寝台をばらばらにしたやつは、大間抜《おおまぬ》けだということさ。だから、第五号以下、どんなことが、書き並べてあっても、気にすることなんか一向ないのさ」
「なるほど、なるほど。ええと第五号は、紫檀《したん》メイタ卓子《テーブル》か。それから第六号が、拓本《たくほん》十巻ヲ収メタル書函《しょばこ》か。それから……」
と、彼は、警告文の左記列項《さきれっこう》を順々に読んでいって、遂《つい》に最後の項に来た。
「ええと、第十二号。礎石《そせき》。『エディ・ホテル』ノ礎石ナリとあるよ。こればかりは、所在がはっきりしているではないか。礎石といえば、石造建物《せきぞうたてもの》のホテルの一等下の角《かど》にある石のことじゃないか。あれは南京路《ナンキンろ》に面した町角《まちかど》だったな。あの礎石が、二日のちの二十六日に大爆発を起すことになると、これはたいへんだ。ホテルの近所の家は、全部立ち退《の》きをしないと大危険だねえ」
彼は、驚駭《きょうがい》のあまり、歯の根もあわず、がたがたと慄《ふる》えだしたが、そのとき咄々先生はからからと笑って、
「やあ、なにを騒ぐぞ。これも商人の儲け仕事の一つさ。つまり石材《せきざい》の値が、高くはねあがる見込みだと一般に思わせて、大儲けをしようというわけだよ。なあに、爆発なんぞしやしないよ。うっかりその手に乗るやつが大莫迦《おおばか》さ」
と、一笑《いっしょう》に附《ふ》した。
「ああなるほど。これもやっぱり金儲け的|謀略《ぼうりゃく》だったか」
と、先生はうなずいて見せたが、しかし彼は、どういうわけか、完全に不安の念から放れたとまではいかなかった。
3
互《たがい》に対立した二つの見解がたしかにあったのである。
この二つの見解は、二十四日、二十五日の両日に於て、互いに追いつ抜かれつ、その勢いを競ったのであるが、いよいよ金博士警告の爆発予定日たる二十六日の朝になると、爆発論者は勿論のこと、昨日までの不発論者たちすら、一せいに荷物をまとめて、エディ・ホテル附近からどんどん避難を開始したのであった。大きな口をきいていた彼等さえ、やっぱり気持がわるくなったらしい。してみると、金博士の信用なるものは、この土地では仲々大したものであるといわなければならない。
そのころ、当の金博士はどうしていたかというのに、彼は常住《じょうじゅう》の地下室から、更に百メートルも下った別室に避難し、蟄居《ちっきょ》してしまった。それは、二十六日の爆弾の破片から身をのがれるためではなくて、博士が十五年前に装填《そうてん》した長期性時限爆弾に関して、問い合わせに殺到した官界財界その他ありとあらゆる職業部面の、概算《がいさん》三千人の群衆からのがれるためであった。なにしろそういう人々は事《こと》生命財産に関係することだとあって、衣服が破れ、鼻血を出し、靴の脱げ落ちることなど一向《いっこう》意に介《かい》せず、文字どおり博士めがけて殺到したこととて博士がそのままこの群衆を引受けようものなら、博士はぺちゃんこになってしまったかもしれないのである。
「やあ、皆、こっちへ戻れ、不発弾が、なに恐ろしい、戻れというのに……」
と、エディ・ホテルの前で、不発論を守って、逃げ行く不甲斐《ふがい》なき民衆を呼び戻しているのは例の咄々《とつとつ》先生であった。
「おい、皆よく聞け。五時間や十時間先に爆発する時限爆弾ならいざ知らぬこと、一体、十五年間も先に爆発するなんてそんな、べら棒なものがあってたまるものか。十五年すれば缶詰だってくさる頃だよ。ましてや金博士の手製になるあやしき爆弾が、十五年間もじっと正しき時を刻《きざ》んで、正確なる爆発を……」
残念ながら、咄々先生の言葉は、これ以上録音することが不可能の事態とは相成《あいな》った。なぜなれば、咄々先生の舌が、一抹《いちまつ》の煙と化してしまったからである。もちろん舌ばかりではない、咄々先生の躯《からだ》ごと煙となって、空中に飛散してしまったのであった。咄々先生が背にしていた礎石は、正直に大爆発を遂《と》げたのであった。時刻は正に二十六日の午前九時三十分――いや、こんな時刻のことなんか、読者には一向興味のないことであろう。それよりは、その礎石の爆発に端《たん》を発して、かの二十五階の摩天閣《まてんかく》たるエディ・ホテルが安定を失って、ぐらぐらと傾《かたむ》き始めたかと思うと、地軸《ちじく》が裂けるような一大音響をたててとうとう横たおしにたおれてしまい、地上は忽《たちま》ち阿鼻叫喚《あびきょうかん》の巷《ちまた》と化し、土煙《つちけむり》と火焔《かえん》とが、やがて租界をおし包ん
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