でしまったこと、そして礎石の爆発よりホテルの完全|倒壊《とうかい》まで約一分十七秒を費《ついや》したという数字の方が、より一層読者の科学する心を刺戟《しげき》することであろう。
 それに引続いて、この租界では、大小三回の爆発があった。ホテルの礎石の爆発とを合わせて、四回の爆発があったわけだ。いずれも、それ相当の手応《てごたえ》があったのであるが、ここではその詳細を一々述べている遑《いとま》がない。ただ十二マイナス四イクォール八という算術に於て明かな如く、予想されたるあと八つの爆発は、ついにこの租界内では見聞することが出来なかった。
 そのわけは、例ののこりの爆弾装填物が、装填後十五年もたった今日、この租界の外に搬出《はんしゅつ》されてしまったのであるか、それとも時限器の狂いでもって、二十六日以後に爆発するのであるか、そのへんははっきりしない。いずれにしても、租界の住民たちは、二十六日が去って一安心したものの、まだ枕を高くして睡ることは出来なかった。そしてそれからというものは、市民たちは暗いうちに起きて、慄《ふる》えながら戸口に佇《たたず》み、新聞が戸袋《とぶくろ》の間から投げ込まれると、何よりも先ず、その日の紙面に、金博士の広告文がのっているかを確め、しかるのちまた寝台にのぼって、改めてすやすやと睡りを貪《むさぼ》るという有様《ありさま》だった。
 こうして住民は、二十九日爆弾の影に怯《おび》え、三十日爆弾を噂し、三十一日爆弾の有無《うむ》を論じ、一日《ついたち》爆弾に賭けるというわけで、ついに金博士の時限爆弾は、住民たちの生活の中に溶けこんでしまった、という罪造《つみつく》りな話であった。
 その間にも、金博士に、なんとかして面会のチャンスを掴《つか》もうとする決死的訪問客は、入れかわり立ちかわり博士の地下室に殺到《さっとう》したのであるが、博士は常に油断をせず、ついぞ彼等の前に姿を現したことがなかった。
 しかしながら、博士も木石《ぼくせき》ではない。一週間も二週間もこんなところに籠城《ろうじょう》しているのに飽《あ》きてきた。


     4


 或る日、博士は瓶詰のビスケットと、瓶詰のアスパラガスとで朝飯をとりながら、ふと博士の大好きな燻製《くんせい》もののことを思い出した。
「やあ、鮭《さけ》の燻製でもいいから、ありつきたいものじゃな。うちの冷蔵庫の隅に尻尾ぐらいは残っていそうなものだ」
 博士は生唾《なまつば》をごくりと呑みこみながら、秘書を呼んで冷蔵庫を探させた。
「先生、尻尾どころか、鱗《うろこ》さえ残っていません。絶望です」
「ふーん、そうかね。ふふーん」
 博士の失望落胆《しつぼうらくたん》は大きかった。博士は、大きな頭を、しばらくぐらぐら動かして考えていたが、
「おい、秘書よ。劉洋行《りゅうようこう》へ電話をかけてみい。あそこなら、すこしは在庫品《ざいこひん》があるかもしれん」
「先生、外部への電話は、一切かけてはならないという先生の御命令でしたが、今日はかけてもいいのですか」
 かねがね電話使用を禁じたのは、例の時限爆弾のことで、博士に面会しようという輩《やから》に乗《じょう》ぜられるのを恐れてのことであった。しかしながら、こうして燻製を想い出した今となっては、もはやそんなことをいっていられない。幸いにも、人の噂も七十五日という、そこまでは経っていないが、あれからもう三週間もすぎていることゆえ、多分もう大丈夫だろうという予想もあって、博士は遂《つい》に電話を外へかけさせたのである。
 劉洋行の店の者が、電話口に出て来た。
「はいはい、毎度ありがとうござい。こちは劉洋行でございます」
「おお、劉洋行かね。おれは金博士じゃが、なんとかして燻製ものを頒《わ》けてくれ。お金《かね》に糸目はつけんからのう」
「え、燻製ものでございますか。お生憎《あいにく》さまでございます。ちょっとこのところ、鮭も鱈《たら》も何もかも切らしておりまする」
「しかし、冷蔵庫の中とか、後とかを探してみたまえ。棚《たな》のものを全部|下《お》ろしてみたまえ。燻製ものの一尾《いっぴき》や半尾《はんびき》ぐらいはありそうなものじゃ。とにかく金に糸目はつけん。君にもしっかりチップを弾《はず》むよ」
「さあ、弱りましたな。ちょっとお待ち下さい、……ところで金博士。一体、十五年先というような長期性時限爆弾は、何の効果があるのですか」
「おや君は、いやに変な声を出すじゃないか。とにかく時限爆弾などというようなものは、長期のものほど効果が大きいのじゃ。たとえば一塊《いっかい》の煉瓦《れんが》じゃ。新しい煉瓦が路に落ちていれば目につくが、その煉瓦が、建物に使われて居り、既に十五年も経って苔《こけ》むして古ぼけているとすると、誰がそれを時限爆弾たるこ
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