》をお委《まか》せになっても、若し私自身が、その結社の一員だったら、閣下は一体どうなさる御考えですか」
「どうも貴方は中々いたいところを御つきになりますね。しかし御安心下さい。その御念には及びません。いくらでも善処すべきみちが作ってありますから」
 この場面があって、椋島技師は、国際殺人団の探索《たんさく》に当るために、剣山陸軍大臣直属のスパイを任命された。彼はそのために、如何なる場合もこの目的のために一命を抛《なげ》うって努力すること、このスパイたることは、絶対に他人に洩《も》[#底本のルビは「もら」と誤記、175−上段−4]らしてはならぬのみか、同志であるものを発見したときと雖《いえど》も、その事情を明かし合ってはならぬこと、但《ただ》しスパイをつとめるについて、事情をあかすことがないのであれば、助手を使ってもさしつかえないことなどと、厳しい注意をこまごまとうけたのであった。
「誓って、祖国のために!」椋島技師は、燃えるような眼眸《がんぼう》を大臣の方に向けて立ちあがると、こう叫んで、右手をつとのばした。
「天祐《てんゆう》を祈りますよ、椋島さん」大臣の幅の広いガッシリした掌《て》がギュッと、椋島技師の手を握りかえした。

  3

 椋島《むくじま》技師は大臣のさし廻してくれた幌《ほろ》深《ふか》い自動車の中に身を抛《な》げこむと、始めて晴々しい笑顔をつくった。右手でポケットの内側をソッとおさえたのは、いましがた大臣から手渡された莫大な紙幣束《さつたば》を気にしたためであろう。
 さてそれからはじまった椋島技師の行動こそは、奇怪《きかい》至極《しごく》のものであった。
 彼は、大臣からさしまわされた自動車を、銀座街《ぎんざがい》にむけさせた。尾張町《おわりちょう》の角を左に曲って、ややしばらく大道《だいどう》を走ると、とある横町を右に入って、それからまた狭い小路を左の方へ折れ、やがて一軒のカフェの前に車を止めさせた。そこは、悪性《あくせい》な銀座裏のカフェの中でも、とかく噂の高いエロ・サービスで知られたバア・ローレライであった。椋島技師は、午前十時のバアの扉《ドア》を無雑作に開くと、ツカツカと奥へ通り、そこに二階に向ってかけられた狭い急勾配《きゅうこうばい》の梯子段《はしごだん》の下に靴をぬぎとばすと、スルスルと昇って行った。二階は真暗であった。ムンと若い女の体臭が鼻をつく。
「キミちゃん居るかい」彼は暗中《あんちゅう》に声をかけた。
「ああ、ムーさんだわね、向うから二番目に、キミちゃん、まだ寝ているわ」と女給頭のお富が彼の膝頭《ひざがしら》の辺から頓狂《とんきょう》な声をあげた。
「そうか。僕は二時頃まで、ちょいと寝たいんだ、あとからウンと奢《おご》ってやるから大目《おおめ》に見るんだぜ。それからお富|姐御《あねご》すまないけれど、その時間になったら、コックの留公に用が出来るんだから、どこにも行かずに待たせて置いとくれ。もう二時まで、なんにも口をきかないからな、話しかけても駄目だぜ」
 云いたいことを云ってしまうと、彼はオーバーを脱いだり、バンドをゆるめたりして、イキナリ、おキミの寝床にもぐり込《こ》んだ。ぼそぼそと、しばらくは小声《こごえ》で話し合っているらしかったが、やがておキミは寝床から出て行って、あとには椋島一人が、何か考え悩んでいるものか、転輾反側《てんてんはんそく》している様子だった。こうして時計は、いく度か同じ空間を廻ってやがて午後二時を報ずるボーン、ボーンという眠そうな音が階下《した》からきこえて来た。それがキッカケでもあるかのように、おキミがおこしに上って来た。
 椋島とおキミとコックの留吉との三人が外出の仕度をして店の方に出て来たのは、それから一時間ほど経ってのちのことである。
「まア、仮装《かそう》舞踊会《ぶようかい》へでもいらっしゃるの」
「ムーさん、勇敢な恰好ねえ」
 などと、ウェイトレス連が囃《はや》したてた。たしかにそれは不思議な組合わせであった。留吉はシャンとした背広に、黒い喋《ちょう》ネクタイをしめて紳士になりすましていたし、おキミはどこで借りて来たのか、三越の食堂ガールがつけているような裾《すそ》のみじかいセルの洋服をきて年齢が三つ四つも若くなっていたし、椋島は椋島で、留吉の衣裳を借りたらしく、コールテンのズボンに、スェーターを頭から被ったという失業者姿であった。
 三人は、まぶしいペイブメントのうえへ飛び出した。三人が列をそろえて一列横隊で歩き出したところへ、横丁《よこちょう》から不意にとび出して来た若い婦人がドンと留吉にぶつかりそうになった。
「ごめん、あそばせ」と婦人は豊かな白い頬をサッと桃色に染めながら言って、チラリと一行を見たが、
「呀《あ》ッ」と小さい叫声をたてた。この婦
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