人は鬼村博士の一人娘の真弓子《まゆみこ》にちがいなかった。無論彼女は、いち早く、椋島の姿をみとめたのである。だがその異様《いよう》ないでたちの彼を何と思って眺めたであろうか、スカートの短いところでカムフラージュされるとしても、生憎《あいにく》彼にしなだれかかっていたコケットのおキミを見落《みおと》す筈《はず》はなかった。これに対して、椋島は遂《つい》に一言も声を出さなかったし、むしろ顔をそむけたほどであった。しかし、何《ど》うやら気になるものと見えて、真弓子の行く後を振りかえった。彼は真弓子がこちらを振りむいたのを見て慌《あわ》てて頭を立てなおした。
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其の夜の六時、電気協会ビルディングの三階第十号室には我国の科学方面に於けるさまざまな学会の会長連が、円卓《えんたく》を囲んでずらりと並んでいた。その人数は十七名もあろうか。電気学会長である帝大工学部長の川山博士の白頭《はくとう》や、珍らしく背広を着用に及んでいる白皙《はくせき》長身《ちょうしん》の海軍技術本部長の蓑浦《みのうら》中将や、テレヴィジョンで有名なW大学の工学部主任教授の土佐博士の丸い童顔や、それからそれへと、我国科学界の最高権威を残りなく数えることができるのであった。勿論《もちろん》、その座長席には鬼村博士のやや薄くなった大きな頭がみえていた。
会合は、科学協会としての例月の打合わせ会であったのであるが、議事が一ととおり済《す》んでしまうと、鬼村博士が、やおら、ずんぐりと太い身体をおこして立った。
「みなさん、例月議事は、これで終了いたしましたが、次に是非みなさんの御智恵を拝借したいことがあります。御承知でもありましょうが、近来どうしたものか、われわれ科学者仲間におきまして、不測《ふそく》の災害に斃《たお》れるものが少くない、いや、寧《むし》ろ甚だ多いと申す方がよろしいようであります。これにつきまして、この頃では、さまざまの臆説《おくせつ》が唱えられて居るようでありまして、中には、これは科学者に共通な悪運が廻って来たものだと申し、或る者は殺人魔の跳梁《ちょうりょう》であると申し、また或る者は偶然災害が続くものであって決して原因のあるものではないと反駁《はんばく》をいたしておるようなわけであります。私個人の考えといたしましては、どうも気が変になった犯人のなせるわざであると考えて居るのでありまするが、それが如何なる人物であるか、探偵でもありませんのでつきとめては居りませぬが、どうも一《ひ》と筋縄《すじなわ》や二《ふた》筋縄で行かぬ人物であり、しかもその犯人は相当インテリゲンチャであると思うのであります。それで吾人《ごじん》は充分、警戒をする必要があると考えます。殊に今日迄の災害の後をふりかえってみますに、いずれも会合の席を覘《ねら》って居るようでありまして、今後、私共科学者の集会はなるべく控えるか、または極力秘密な場所に開き、尚《なお》これに官憲の保護を得るようにつとめたいと考えますが、かように私の御警告申上げることについてみなさんは、或いは異説をおもちかと存じ、今度は充分御対論を願いたく尚《なお》警戒法について御心付の点をお話し願いたい。現に今夜のこの会合の如き、最も鏖殺《おうさつ》し甲斐《がい》のあるものでございますが、いままでなんともないところをみると、或いは遂になんでもないかもしれないのでありまするが、或いは又、これから爆弾が降ってくるかもしれないのでございます。いやそれは冗談でありまして、実は私の老婆心から、本会場は既に厳重な警視庁の警戒でとりまいてございますから、どうぞ御安心をねがいます」と博士はニヤニヤと両頬に笑《え》みをうかべながら諧謔《かいぎゃく》を弄《ろう》して着座したので、最初のうちは顔色をかえた会員も、哄笑《こうしょう》に恐怖をふきとばし、一座は和《なごや》かな空気にかえった。一旦席についた博士は衣嚢《かくし》から金時計を出してみたあとで一座の顔をみわたしたが、「どうぞ御意見を……」と言った。そして急に立ちあがって「ちょっと便所へ……」と隣席の川山博士に耳うちをすると、席を立った。そして入口の扉《ドア》をあけて室外に出ると、
「先生、なにも変ったことは御座いません」と、今夜の警戒の第一線に自ら進んで立っていた松ヶ谷学士が、いきなり博士に顔を合わせて、こう囁《ささや》いた。
「わしは便所へ行って来る、よろしく頼むぞ」博士は、例の調子で呻《うめ》くように言うと、そろりそろりと便所のある方へと足どりを搬《はこ》んで行った。会合室内では蓑浦中将が立って、
「唯今、協会長の御説明のあった最近の奇怪なる事件につきまして、私の……」と、そこまで話をすすめて来たときに、どうしたものか、グローブの中の電燈が、急に二倍もの明さに輝いたかとみる間に、スー
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