国際殺人団の崩壊《ほうかい》
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)作者《わたくし》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)大変|可笑《おか》しい
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)ごま[#「ごま」に傍点]
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作者《わたくし》は、此《こ》の一篇を公《おおやけ》にするのに、幾分の躊躇《ちゅうちょ》を感じないわけには行かないのだ。それというのも、実《じつ》は此の一篇の本筋は作者が空想の上から捏《こ》ねあげたものではなく、作者の親しい亡友《ぼうゆう》Mが、其の死後に語ってきかせて呉《く》れたものなのである。亡友《ぼうゆう》Mについては、いずれ此の物語を読んでゆかれるうちに諸君は、それがどのような人物で、どのような死に方をしたのであるか、おいおいとお判りになってくれることであろう。それにしても「死後に語ってきかせたもの」などと言うのは大変|可笑《おか》しいことに聞えるかも知れないが、これも事情を申して置かねばならないことであるが、諸君もかねてお聞きおよびかと思う例の心霊《しんれい》研究会で、有名なるN女史という霊媒《れいばい》を通じて、作者がその亡友から聞いた告白なのである。その告白は、実に容易ならざる国際的怪事件を語っているので、命中率九十パーセントと称せられる霊媒《れいばい》N女史の取扱ったものだから充分事実に近いものだとすると、この怪事件は公表するには余りに重大な事柄で、或いは公表を見合わせた方が当《あた》り障《さわ》りがなくてよいかも知れないくらいなのである。しかし一方に於《おい》て、N女史の招霊術《しょうれいじゅつ》は、単なる読心術《どくしんじゅつ》にすぎないという識者《しきしゃ》もあるようだから、それなれば、N女史の前に坐った作者の心中《しんちゅう》にかくされていた妄想《もうそう》が反映したのに過ぎないとも云えないこともないのである。兎《と》も角《かく》、そこのところは諸君の御判断におまかせするとして、怪事件の物語をはじめようと思うが、一種の実話であるだけに、筋ばかりで、描写が充分でないのは我慢していただきたい。
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古ぼけた大きな折鞄《おりかばん》を小脇にかかえて、やや俯《うつむ》き加減に、物静かな足どりをはこんでゆく紳士がある。茶色のソフト帽子の下に強度の近眼鏡《きんがんきょう》があって、その部厚なレンズの奥にキラリと光る小さな眼の行方《ゆくえ》は、ペイブメントの上に落ちているようではあるが、そのペイブメントの上を見ているのではないことは、その上に落ちていたバナナの皮を無雑作《むぞうさ》に踏みつけたのをみていても知れる。バナナの皮を踏んだものは、大抵《たいてい》ツルリと滑べることになっているが、この紳士もその例に洩《も》れずツルリと滑ったのであるが、尻餅《しりもち》をつく醜態《しゅうたい》も演ぜずに、まるでスケートをするかのように、鮮《あざや》かに太った身体を前方に滑《すべ》らせて、バナナの皮に一と目も呉《く》れないばかりか、バナナの皮を踏んだことにも気がつかないようにみえた。そこで紳士は、急に進路を左に曲げて、ある大きな石の門をくぐって入った。守衛が敬礼をすると、紳士は、別にその方を振りむいてもみないのに、鮮《あざや》かに礼を返したが、その視線は、更に路面の上から離れなかった。軽く帽子をとったところをみると、前頂《ぜんちょう》の髪が可《か》なり、薄くなっている。年の頃は五十四五歳にみえた。
この紳士は、構内を物静かに歩いて行った。それは五階建ての白い鉄筋コンクリートの真四角なビルディングが、同じ距離を距《へだ》てて、墓場のように厳粛《げんしゅく》に、そして冷たく立ち並んでいる構内であった。紳士は、そのようなビルディングの蔭を七つ八つも通りすぎてから、これはまた何と時代|錯誤《さくご》な感じのする煉瓦《れんが》建《だて》のビルディングの扉《ドア》を押して入って行った。そこで紳士は直ぐ左手の壁にかかっている沢山の名札《なふだ》の中で一番上の列の一番端にかかっていた「研究所長|鬼村《おにむら》正彦《まさひこ》」と書いた赤い文字のある札を手にとって、その裏をかえすと、又|復《もと》の位置にパチリと収《おさ》めた。赤かった文字が、今度は黒い文字に代り、矢張り「研究所長鬼村正彦」と名が読めた。さてその老紳士鬼村所長は、この動作中にも、別に視線を動かすようなこともなく、札をかえしてしまうと、階段の下の薄暗い隅にある扉を開いて、それから長い廊下を、音のしないように歩き、一番奥まった部屋の中に姿を消した。すべての行動が、いかにも馴《な》れ切った世界に、大した
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