て腕をつっぱった。……
ビシリッ!
「失敗《しま》った。――」
と思ったときは、もう遅かった。杉箸細工の棒切れはもろくも折れて、腕は空を衝き、勢あまって頭を壁にガーンとぶっつけた。
生死の分岐点
そのときの僕の残念さといったら、口にも文字にもあらわせなかった。二月ばかり、並々ならぬ苦心をして、やっと作りあげた棒が、最後の舞台で脆くも折れてしまったのだから、その口惜しさといったらなんといってよいか、腸《はらわた》が熱くなるようであった。
僕は床の上から力なく起きあがった。運命の神はこんなにも意地悪なものかと慨《なげ》きながら……。
僕は暫くジッと鉄扉を睨みつけていた。あの箸棒さえ折れなかったら、今ごろはこの扉がギイッと明いたのだ――と思いながら、指さきで鉄扉をちょんと弾いた。
「呀《あ》ッ。――」
僕は思わず大声で喚《わめ》いた。なんという思いがけないことだろう。僕の指さきに籠《こ》めた僅かばかりの力で、城壁のように動かないと思っていた扉がギイッと音をたてて外へ開いたのだった。渓谷《けいこく》のような深い失望から、たちまち峻岳《しゅんがく》のように高い喜悦《きえつ》へ、――。
(そうだ。杉箸の棒は折れたけれど、折れる前に、扉の腕金をすっかり起していたのだ! 万歳)
僕は咄嗟の間に真相を悟った。
僕は喜びのあまり、すぐに扉の外へとびだした。そして気がついて背後をふりかえると、さっきから僕のすることを興味ぶかげに寄ってみていた同室の二人が、これも続いて室内から飛び出してこようとするところだった。
「うぬッ――」
僕はふりかえりざま、二人を室内に押し戻すと、鉄扉をピシャンと閉めてしまった。いま一緒に出られては、すぐ監守に見つかってしまう。それでは二ヶ月の苦心も水の泡だった。――押し戻された二人は、争って覗き穴のところから顔をつきだし、まるで獣のように咆《ほ》えたてた。
僕は鉄扉の外から、腕金を横に仆して、もう誰も出られないようにした。そして暗い廊下の壁に身体をピタリとつけ、蜘蛛のように匍いながら出口の方へ進んだ。
出口には、とても頑丈な鉄格子があって、その真中が、鉄格子の扉になっていた。そしてその外に、監守の詰所があった。そこには灯があかあかと点っていた。
出口の鉄格子はピシャンと閉っていた。しかしその格子には、大きな錠前がついていながら、いつも錠が下りていないことを僕は予《あらかじ》め知っていた。それは出入が頻繁なので、いちいち掛けておいたのではたいへん不便なせいであろう。
「あの関所さえ越せば……」
僕は幸いあたりに人のいないのを見澄すと、胸を躍らせて鉄格子の扉に近づいた。――果然《かぜん》今夜も鉄格子には錠が下りていなかった。
「しめた」
僕は鉄格子に手をかけると、ソッと押してみた。
ギギギギギイ。
鉄格子には狂いが来ているらしく、甲高い金属の擦れあう音がして、僕の肝《きも》を冷やりとさせた。
こいつはいけない! と思ったが、格子を開けなければ外へ出られない。僕は更に気をつけて、ソッと扉を押しつづけたが、それでもギギギギギイと鉄格子はきしんだ。監守詰所にいる人に、悟られなければよいが……。
「だッ、誰? 清田君か――」
と、突然詰所のうちから声がした。かなりアルコールが廻っているらしい声だった。僕は電気にひっかかったように、その場に震えだした。露見《ろけん》か?
「おウ……」
僕は大胆にも作り声をして返事をした。
「早くしろ、早く。出かけるのが遅くなるじゃないか。……」
「うむ――」
僕は鉄扉を開くと、スルリと外へ出た。そして腰をかがめて、詰所の窓下を通りぬけ、あとは廊下をなるべく音をたてずに疾走したのだった。
「なにをしとるんだ。――」
そのとき詰所の硝子窓がガラリと開いた。
「おい。……誰だ。呀《あ》ッ、逃げたなッ。――」
監守の怒号する声、――それにつづいて乱暴にも、ダダーン、ダダーンと拳銃の響き!
ヒューッ、ヒューッ――、廊下を飛ぶように走ってゆく僕の耳許《みみもと》を掠《かす》めて、銃丸《じゅうがん》がとおりすぎた。そして或る弾は、コンクリートの壁に一度当ってから、足許にゴロゴロ転がって来た。いま僕は生死の境に立っていた。無我夢中に、どこをどう突走ったか覚えがないが、建物の外へ出ると、真暗な庭にとびだし、それから、つきあたったところの高い塀にヤッと飛びついて、転がり落ちるように塀の外に落ちた。そのとき精神病院の塔の上で、ウーウーウーとサイレンが鳴りだしたのを聞いた。――僕はそれを後にして、ドンドンと祭の夜の灯の街の方へ逃げだしていった。
そのとき僕の服装は、病院の患者に支給される西洋寝衣だったので、ある橋の畔まで来たとき、それをすっかり脱いで、小脇に抱えて来
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