た紙包を解いて予《かね》て用意の詰襟《つめえり》の学生服に着かえ、寝衣の方は紙包みにし、傍に落ちていた手頃の石を錘《おも》し代りに結び、河の中へドボーンと投げこんでしまった。そこで、どこから見ても、学生になりすましたのだった。僕は大威張りで、明るい灯の街へ入っていった。
夜の街は、沸きかえるような賑かさだった。両側の飲食店からは、絃歌の音がさんざめき、それに交って、どこの露地からも、異国情調の濃い胡弓《こきゅう》の音や騒々しい銅鑼《どら》のぶったたくような音が響いて来た。色提灯を吊し、赤黄青のモールで飾りたてた家々の窓はいずれも開放され、その中には踊り且つ歌う人の取り乱した姿が見えた。また街路の上には、音頭を歌って手ふり足ふり、踊りあるく一団があるかと思うと、また横丁から大きな竜の作りものを多勢で担ぎ出してきて、道路を嘗《な》めるように踊ってゆくのだった。
ラランラ、ララ……。
シャットシャット、ヨイヨイヨイ。
ヒョウヒョウヒョウヒョウ。
いろんな掛け声が、舗道から屋根の上へと狂気乱舞する[#「狂気乱舞する」はママ]。僕の心は脱走者であることさえ一時忘れ、群衆の熱狂にあおられ、だんだんと愉快な気持になっていった。
そんな好い気持になってきたのも、あまり長い間のことではなかった。
この歓楽の巷に、突如として響いて来たサイレンの音、――人々は回転の停った活動写真のように踊りの手をやめて、其の場に棒立ちになった。向うの大通りから、ヘッドライトをらんらんと輝かして自動車隊が闖入《ちんにゅう》してきた。僕はツと壁ぎわに身を隠した。
「ああ――、静まれ、静まれ。いま重大な布告があるぞオ」
車上の男は、各国語で、同じことをペラペラと叫んだ。その車の奥を見ると、僕はギクリとした。そこには着飾った森おじ――ではない森虎造が落ちつかぬ顔をしながら、強いて反《そ》り身《み》になって威厳を保とうとしているのだった。
「布告を読みあげる。――」と、森虎造の横に掛けていた金ピカの警務署長らしいのが立ち上った。
「先刻、精神病院から、凶悪な患者が脱走した。年齢は二十四歳、日本人で北川準一《きたがわじゅんいち》という男だ。背丈は一メートル六十、色の白い青年で、額の生え際に小さい傷跡がある。服装は、鼠色の寝衣風のズボンと上衣とをつけている。非常に凶悪な青年だから、放置しておいては危険千万である。注意を払って、見つけ次第逮捕するように。場合によっては、射殺するも已《や》むを得ない。逮捕又は射殺者には銀二千ドルの賞金を与える。……」
僕は、自分で自分の逮捕布告を聞いた。銀二千ドルの生命か! その価値は高いとは云えなかったけれど、そんな賞金を出してまで逮捕――いや射殺までしようというのは何ごとか。僕はそんな恐ろしい人間なのだろうか。見ていると、これはどうやら、森虎造が賞金を出すのじゃないかと思われた。森虎は、亡き父の親友だと聞いていた。父が米国で死んだとき、それを当時東京に住んでいた僕たちに詳しく知らせてくれたのは、森のおじさんだった。またこの地へ、母のお鳥と僕とを心よく迎えてくれ、室まで僕たちに貸し与えてくれて好意を見せた森のおじさんだった。それが間もなく僕を苛酷《かこく》に扱い、精神病院に入れたり、揚句《あげく》の果は、僕を射殺しろとまで薦《すす》めている。……なんという恐ろしい変り方だ。……僕にはサッパリ理解ができないことだった。
賞金として銀二千ドル!
群衆は踊りのことも歌のことも、一時忘れてドッと歓声をあげた。
「畜生! お前らに掴まってたまるかい」
僕は建物の陰で拳をにぎり、ブルブルと身体を震わした。
そのときのことだった。
何者とも知れず、突然横合いから腕をグッと捉えた者があった。
「北川準一!」
失敗《しま》った! ハッと振りかえってみると、そこには結いたての島田髷《しまだまげ》に美しい振袖を着た美しい女が立っていて、僕の両腕の急所を、女とは思えぬ力でもってグッと締めつけているのだった。
絶体絶命! 僕はこの女のため、金に変えられて仕舞う運命なのだろうか?
秀蓮尼《しゅうれんに》庵室《あんしつ》
腕を締めつけた女は、あまりに美しかった。僕はまるで魂を盗まれたような気がした。僕は死刑から脱がれるためにその女を蹴倒して逃げねばならぬ。しかもそれを決行しなかった訳は、その女があまりにも僕がいつも胸に抱いていた幻の女に似た感じをもっていたからだった。たった一つしかない生命よりも尊いものが、他にもあったのだった。
いや蹴倒すどころか、僕は捉えられたまま、大声すら発しようとしなかった。――もっともそのとき女の涼しい眼眸の中に、なにか僕に対する好意のようなものを感じたからでもあった。
「北川さんでしょ。……」
「し
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