鍵から抜け出した女
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)黄風島《こうふうとう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一本|小楊子《こようじ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)狂気乱舞する[#「狂気乱舞する」はママ]
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   黄風島《こうふうとう》にて


 今夜こそ、かねて計画していたとおり、僕はこの恐ろしい精神病院を脱走しようと決心した。――
 そもそも僕は、どうしてこの島の精神病院などに入れられるようなことになったのか、その訳を知らなかった。第一僕は、こんな島なんかに来たくなかったのだ。母親のお鳥に連れられ、内地をおさらばしてこの北国の黄風島《こうふうとう》に移住してきたのだが、なぜ母親があの気持のいい内地を去るような気持になったのか腑《ふ》に落ちない。まさか母親お鳥は、僕をこの精神病院に入れるために、わざわざ内地を捨てて黄風島に来たわけでもあるまいと思うが……。
 とにかくこれは夢ではないのだ。僕はいまたしかに精神病院の一室に監禁せられているのだ。入口の扉はこっちからはどうしても開かなかったし、また窓という窓には厳重な鉄格子が嵌《はま》っていた。そしてこの不潔な小室には、少年が二人まで同室しているのだった。
 母親お鳥が今まで一度も僕をこんなところに入れると云ったことがない。母親と二人でこの島へ着いたときは、かねて内地で親しくしていた森虎造というおじさんが迎えに出てくれた。森おじさんは僕たちに向い、さぞお前たちは土地不案内で困るだろうし、また島にいま適当な家も空いていないことだから、とりあえず自分の邸にくるがいい。室を二つ三つ明けてあげるから当分それへ入っていて、ゆるゆる空家を探すのがいいだろうと親切に云ってくれた。それで僕たちは、島の斜面に建っている豪勢な洋館へ案内され、そこで三室ほど貸しあたえられた。なんでも森おじさんは、内地にいた頃とは違って、たいへん成功し、この島の中では飛ぶ鳥落とす勢力があり、何でもおじさんの思うとおりになるそうだ。
 一と月あまり、それでも物珍らしく楽しい日を送ったが、或る日のこと、母親は下町へ行って、僕一人で留守番をしていたことがあった。僕は留守番というのがたいへん好きだった。実はすこし悪い病であるが、留守をしながら、いつもは手をつけては怒られるような戸棚の中や梱《こうり》の底などをソッと明けてみるのが非常に楽しみだったのである。その日も留守を幸い、こっそり僕等の部屋を抜けだし、森おじさんの書斎へ忍びこんで、散々に秘密の楽しみを味わった後、そこにあった安楽椅子に豪然と凭《もた》れて、おじさん愛用の葉巻をプカプカやっていた。すると誰もいないと思っていた扉が急に開いて、その向うから突然四五人の詰襟服《つめえりふく》の男が現われ、僕の顔を見ると、
「ああ、此奴《こいつ》だ。こいつを連れてゆくのだ。それッ……」
 と叫んだ。その声の下に、ドッと飛びこんできた詰襟服の一団は、有無をいわさず手どり足どり、僕を担《かつ》ぎあげて、表に待たせてあった檻《おり》のような自動車の中に入れてしまった。僕はあまり思いがけない仕打ちに愕《おどろ》いて、大声で喚《わめ》きたてたが、母親は不在だったし、それから生憎《あいにく》と森おじさんも留守だったので、誰も僕の味方になってくれる者もなく、結局僕を知らない連中は、あれが変なのかといわぬばかりに好奇の眼を輝かせて見送るばかりで、誰一人僕を助けてくれるものはなかった。そうして僕は、やすやすとこの精神病院に入れられてしまったのだった。
「僕は気が変じゃないぞ。早く母親を呼べ。――僕を変だと診断するのか。そんな院長こそ変だ!」
 僕は腹立ちまぎれに、そんな[#「そんな」は底本では「そんに」]風に怒鳴りちらした。だが、その結果は反《かえ》ってよくなかった。僕はますます気が変のように見られ、しまいには自分自身でも、或いは僕は変になっているのじゃないかと錯覚《さっかく》を起こしたくらいだった。
 はじめは腹が立って腹が立って、ろくろく飯も咽喉を通らなかったが、そのうち、いつとはなしに諦《あきら》めの心ができて、乱暴することを控《ひか》えるようになった。しかし監禁室の生活はとても退屈だった。思ってもみるがいい。三度の飯をたべる以外に何の仕事がある訳ではなく、本も新聞もないのだ。窓から外を見ようとすれば、塀《へい》が意地わるくふさいでいた。
 この退屈な監禁室の生活に、ただ一つ僕を慰めてくれたものがあった。それはひそかに身に隠して置いた一個の鍵だった。それは実は森おじさんの戸棚にもぐりこんだとき、隅に落ちていたのを失敬したものであるが、極く昔、和蘭《オランダ》あたりで作られたものでないかと思うほど、
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