古ぼけた珍らしい形の鍵だった。そしてもう一つ奇妙なことに、その鍵の握り輪の内側が、丁度若い女の横顔をくりぬいたような形になっていた。そこがたいへん僕の気に入って、無断で貰ってきたのだったが、その鍵だけは監視人の眼も胡魔化《ごまか》しおおせて、いまだに僕の手にあり、僕はそれを唯一の玩具――いや宝物として退屈きわまる毎日をわずかに慰めていたのだった。
 その後、ついに会えないかと思った母親にも、また森おじさんにも、たった一度だけ会う機会があった。しかもそのときは二人揃って一緒に、この病室を訪れた。僕は天にも昇る悦《よろこ》びで、僕は気が変ではないから直ぐ出してくれるようにと熱心に頼んだのである。しかしどういうものか二人は僕の頼みにすぐには賛成してくれなかった。反《かえ》って二人して僕に詰問するような態度で、
「ねえ準一や。お前はおじさんの室から、何か盗みだして持ってやしないかい。そうなら早くお返しするんだよ。でないと妾《わたし》は困ってしまう……」
「北川君。そいつは何処に隠してあるんだか話してくれんか。教えてくれりゃ、なんとか早く癒《なお》って退院できるように骨を折ってみるが……」
 といった。この唐突の話には面喰ってしまった。始めは一体なんのことを云っているのか分らなかったが、そのうちに、
(ハハア。ひょっとすると、これは横顔女の鍵のことを云っているのかしら?)
 と気がついた。けれども僕はその鍵をどうしても渡す気になれなかった。鍵を渡した代償に、この病院を出すというが、それは嘘《うそ》ッ八《ぱち》だということがよく読めた。それでは大損だった。それにもう一つ鍵を渡したくない理由があった。それは――それはちょっと言うのも恥かしい話であるが、実は僕はいつとなくこの鍵の握り輪のところに刻まれている横顔の婦人に恋のようなものを感じていたからだった。この世で一番大事な恋人を誰が人手に渡すものか!
 そのことあって以来、僕は母親お鳥も森おじさんも一向頼りにならないことを知った。そしてこの上は何とかして、この恐ろしい精神病院を自力でもって逃げださねばならないと思った。
 それから僕は、この困難な脱走の手を、あれやこれやと考えぬいた。そしてとうとう、これならうまくゆくに違いないという方法を発見したのだった。この上は、いい機会がくるのを待つばかりとなった――
 さて今夜こそ、絶好のチャンスだった。今夜こそ、どうしても脱走を決行しなければならない。だがもし、その脱走が失敗に帰したとしたら、それこそ森おじさん――イヤ、これからはもうおじさんなんて呼ばないことにしよう――森虎造の掌中に握られているようなこの島の中のことだから、僕の生命は無いものと覚悟していなければならないだろう。


   決死の脱走計画


 僕が覘《ねら》ったのは、この監禁室の入口の扉だった。
 その扉は大きな鉄扉でできていた。壁は鉄筋の入った厚いコンクリートの壁だった。どっちもそのままでは破ることができない。
 その鉄扉と壁体とは、外から大きな鉄の腕金《うでがね》が横に仆れて、堅固なつっぱりになる仕掛だった。その上、下ろされた腕金には逞《たくま》しい錠前が懸るようになっていた。
 いつも内部で気をつけていると、鉄の腕金の方は下ろされ、錠前の方は午後十一時の点検がすむとピチンと下ろされるが、それまではいつも外されていることが分った。すると結局扉の外の横になっている腕金だけ、縦にできさえすれば、この部屋から出られることになるのだが、室内からその腕金に手を届かせられるような都合のよいことにはなっていなかったし、その腕金を見ることもできなかった。それに腕金は端の方に、時計の振子を大きくしたような相当な錘《おも》りがついていたから、腕金を上げるのにかなり骨が折れた。――しかし結局、僕の覘いどころは、この腕金を監禁室の内部から外すことにあった。
 脱走計画のことで、最初に僕を元気づけたものは、この扉のすぐ左側の壁の、その一番下のところに三寸四方ほどの四角い穴が切ってあることだった。これは空気抜けの穴でもあったし、また室内を水で洗浄するとき、その水の捌《は》け口《ぐち》でもあった。この穴に手首を入れてみると、楽に入った。しかし腕の附け根まで入れてみても、手首は腕金にはとうてい届かない距離にあった。その距離は約二尺だった。もう二尺だけ手が長ければ腕金の錘りにとどいて腕金を起こすことができるのだが、人間の手がこの上二尺も長かったら、それは化物である。
 しかし兎《と》に角《かく》、問題は二尺の距離だった。もし二尺ばかりの棒切れが手許にありさえすれば、こいつを手に握って腕金の錘りにまで届かせることができるのだった。だが監禁室にはそんな棒切れは厳禁になっている。いや棒切れどころか、硬いものは釘《くぎ
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