》んでいたという発見の方ですよ」
 と、蜂谷艇長は興味深げに黄金階段の下を覗《のぞ》いてみるのだった。
 そのときだった。
「あれッ、おかしいなア」
 と進少年が、頓狂《とんきょう》な声をあげた。蜂谷とミドリは愕《おどろ》いて少年の方をふりかえった。少年の顔色がセロファン製のマスク越しにサッと変ったのが二人に分った。
「あ、あれごらん」と少年は手をあげて前方を指した。その指す方には、空気のない澄明《ちょうめい》なる空間をとおして、新宇宙艇の雄姿《ゆうし》が見えた。「誰か、艇内からピストルを放《はな》ったよ。撃たれた方が、いま砂地に倒れちゃった。誰がやられたんだろう」
「おお大変」とミドリは胸をおさえて、「艇内に居たのは、新聞記者よ。いま帰った猿田さんが撃たれたんでしょ。大体あの記者、怪しいわ。出発のときにだって、艇内に忍びこむ前に、ピストルで羽沢《はざわ》飛行士を撃ったのかも知れなくてよ」
 と、ミドリ嬢はハッキリ物を云った。
「さあ、どっちにしても大変だ。さあ急いで傍《そば》に行ってみましょう」
 艇長はすぐ先頭に立って、艇の方へ駈けだしていった。
 そのとき、繋《つな》いであった新宇宙艇の尾部《びぶ》から、ドッと白い煙が上ったと思うと、艇は突然ユラユラと頭部をふると見る間に、サッと空に飛び上ってしまった。
「呀《あ》ッ、大変だ。艇が動きだしたぞ。これは一大事……。ま待てッ」
「アラどうしましょう。……」
 といっている間《ま》に、艇の姿は青白い瓦斯《ガス》を噴射《ふんしゃ》しながら、グングン空高くのぼって、みるみる遠ざかっていった。
 艇長とミドリと進の三人は、あまりの思いがけぬ出来ごとのため、死人のような顔色になって駈けつけたが、もう間に合わなかった。ただ艇の繋《つな》いであったところに、マスクを被《かぶ》った人間が一人、脚をピストルで撃たれて朱《あけ》に染《そ》まって倒れているのを発見したばかりだった。
 それを助け起してみると、なんのこと、艇内に残っているように命じてあった佐々《さっさ》記者だった。彼は深傷《ふかで》に気を失っていたが、ようやく正気《しょうき》にかえって一行に縋《すが》りついた。
「猿田飛行士が、艇にひとり乗って逃げだしたのです。はじめ猿田さんは、金塊《きんかい》を持って艇内に入って来ましたが、もう一度取りにゆくから一緒にゆけといって、私を先に地上に下ろすと、私の隙《すき》をうかがってドンとピストルで撃ったのです。今だから云いますが、あの人は恐《おそ》ろしい殺人犯ですよ。私が砧村《きぬたむら》にある艇内に忍びこむ前のことでしたが、小屋の前に立っていた人(羽沢飛行士のこと)をピストルで撃ち、待たせてあった自動車にのって逃げるのをハッキリ見て知っているのです。全く恐ろしい人です」
「ああ、それで分ったわ。猿田は月世界《つきのせかい》の黄金《おうごん》目あてに是非この探険隊に加わりたくて、羽沢さんを殺したんですわ。そして何喰わぬ顔をして、参加を申し出たのよ。それとも知らず、あたしが参加を許したりして……ああどうしましょう。もう地球へは戻れなくなったわ。ああ……」
 四人は顔を見合わせて、深い絶望に陥《おちい》った。


   黄金《おうごん》階段を下る


 さすがに艇長だけあって、蜂谷学士は決心を定《き》めて顔をあげた。
「さあ、地球へ帰れないなんて、始めから決心していたことで、今更《いまさら》歎《なげ》いても仕方がないことですよ。それよりも、こうなったら探険隊の仕事をすこしでもして置きたいと思いますが、どうです。私は例の階段を下に下りてみようと思うのです。何だかあの下には、生物が住んでいるような気がしてならないのです。さあ皆さん、元気を出して下さい」
 艇長の言葉はよく分った。死ぬ覚悟《かくご》さえつけば、何の恐るるところもない。そこで三人は負傷している佐々記者を担《かつ》いで、黄金の階段の方へ引返していったのだった。
 するとどうしたことだろう。さっきは誰もいなかったと思うのに、黄金階段の上には紛《まぎ》れもなく人間の形をした者が一人立っていて、しきりにこちらを見ていたが、やがて明瞭《めいりょう》な日本語で、
「おお、そこにいるのは、妹のミドリではないか」
 愕《おどろ》いたのはミドリだった。
「……ああら、兄《にい》さま。まア……」
 と叫ぶなり、彼女は死んだものとばかり思っていた兄の天津《あまつ》飛行士の胸にワッとばかり縋《すが》りついた。
 その場の事情を悟《さと》るなり、進少年はにわかに興奮して、
「おじさん。僕の父はどこに居ます。早く教えて下さい」
「おお、あなたのお父さんとは……」
「それ六角博士《ろっかくはかせ》ですよ。僕は六角進《ろっかくすすむ》なんです!」
「ナニ六角進君。ああそうでしたか。隊長の坊ちゃんでしたか。まあよく月の世界まで尋《たず》ねて来られましたネ」
「早く父に会わせて下さい。どこにいるのですか」
「ああ、お父さまですか。……」といって天津飛行士はちょっと顔を曇《くも》らせたが「……実はお父さまはこの地底《ちてい》で病気をしていらっしゃいます。しかしあなたをごらんになれば、どんなに元気におなりか分りませんよ。さあ参りましょう」
 天津は先に立って、黄金階段を下りはじめた。「地底《ちてい》」へ下りてゆく間に、一行は始めて月の世界の生物の話を聞くことができて、奇異《きい》の想《おも》いにうたれた。
 それによると、月の世界の表面には、何も住んでいない。それは第一空気もなく水もないし太陽が直射すると摂氏《せっし》の百二十度にも上《のぼ》るのに、夜となれば反対に零下百二十度にも下《くだ》ってしまうという温度の激変《げきへん》があって、とても生物が住めない状態にあった。しかし月世界に生物が全く居ないわけではない。この世界にもやっぱり数億人の生物が住んでいるのだった。彼等は皆、月の地中深く穴居《けっきょ》生活をしているのだった。地中はまだ暖く、早春《そうしゅん》ぐらいの気候だそうで、そこには空気もあり、また水もあるのだという。その月の生物も人間と別に大した変りはないが、まだ智恵はあまり発達していないという。とにかく意外なる月の地中《ちちゅう》社会のお蔭で、一行は寒さに倒れることもなくて助かった。
 ただ気の毒なのは、進の父六角博士の容態《ようだい》だった。博士は老衰病《ろうすいびょう》のため、ひどく弱っていて、動かすことも出来ない有様だった。
 その夜一行は、物珍らしい月の人間に囲まれていろいろな話をしたり聞いたり、また奇妙な食物を御馳走になったりして過ごした。一行は寂《さび》しさから紛《まぎ》れて、こうして三晩を過ごしたのだった。
 それは四日目の朝に相当する時刻だった。もっとも月の世界では、十四日間も昼間ばかりぶっつづき、あとの十四日は夜ばかりつづくという変な世界だったので、事実はいつも明るかったのだった。とにかくその朝、天津《あまつ》飛行士の作った黄金階段に見張りに出ていたクヌヤという月の住人が急いで天津のところへ駈けつけてきた。
「なんだか真白な、大きなものが砂地に突立《つきた》っていますよ」
 真白な大きなもの――というので、天津は蜂谷たちに知らせると、急いで階段をのぼった。上《あが》ってみると、なるほど砂中《さちゅう》からニュウと出ている銀色の板――。
「おお、これは宇宙艇じゃないか」
 それでは、猿田の操縦していった新宇宙艇が、墜落《ついらく》してきたのであろうか。一行は非常な興味をもって、これを砂中《さちゅう》から掘りだしてみた。
「ウンこれは違う。新宇宙艇ではない」
 と蜂谷学士は首を左右にふった。
「オヤオヤ」突然|横合《よこあい》から叫んだのは天津飛行士だった。「これは愕《おどろ》いた。奇蹟中の奇蹟! 六角隊長と私とをこの土地に残して、空に飛びだした第一の宇宙艇だ」


   恐ろしき違算《いさん》


「あらマア、不思議なことネ」
「全く貴女がたの場合と同じような事件だったので。そのときも一行中に犬吠《いぬぼえ》という慾の深い男がいて、月の世界の黄金塊《おうごんかい》をギッシリ積むと、隊長と私とを残して置いて、単身《たんしん》飛びだしたんです。私は犬吠が地球にかえったとばかり思っていたのに、これは実に不思議だ。どれ内部を調べてみれば何か分るだろう」
 蜂谷にミドリ、それに進も手をかして扉《ドア》をこじ明けると、内部を調べてみた。すると果《はた》せるかな、その中には慾深い犬吠が、黄金塊《おうごんかい》を抱《いだ》いて餓死《がし》しているのを発見した。
 ところで喜んだのは一行だった。思いがけなく、旧《ふる》い型《かた》ではあるが宇宙艇が手に入ったので、地球へ帰る一縷《いちる》の望みができてきた。調べてみると、何という幸《さいわ》いだろう。燃料はかなり十分に貯《たくわ》えられていた。
「おお、神様、お蔭さまで地球へ帰れます」
 一行はこの吉報《きっぽう》をきくと、躍りあがって喜んだ。だが何《ど》うしてこの宇宙艇が、月の世界に落ちて来たものだか、まだこのときは一向《いっこう》に解せない謎だった。
 宇宙艇の修理は、僅かの日数で、一とおり出来上った。そこでこれに乗組む人の顔ぶれが問題になった。いろいろ議論はあったが、ついに、少し無理ではあったが、重病の六角博士を除いて、他の五人――つまり新宇宙艇の乗組員の中で、逃亡《とうぼう》した猿田飛行士の代りにミドリの兄の天津飛行士を加えただけで、あとはそのままの顔ぶれでもって、いよいよ地球へ向け帰還《きかん》の途《と》につくことになった。そして博士は、日を改《あらた》めて迎えに来ようということになった。
 修理された古い宇宙艇が、すこしばかりの金塊《きんかい》を土産に、「危難《きなん》の海」近くコンドルセを出発したのは、月世界に到着してから十日後のことだった。
「さあいよいよ地球へ帰れるぞ」天津飛行士はエビス顔の喜び様《よう》だった。
「さあ、月世界よ、さよなら」
「さよなら、また訪問しますわ」
 やはり艇長の役を引うけた蜂谷学士はミドリ嬢と窓に顔をならべて、荒涼《こうりょう》たる山岳地帯のうちつづく月世界に暇乞《いとまごい》をした。
「おじさん、今度は大威張《おおいば》りで帰れるネ」
「そうでもないよ、進君」
 佐々と進少年はすっかり仲よしになってニコニコ笑っていた。
「出航!」
 命令|一下《いっか》、艇は静かに離陸していった。
「お父さま。いいお医者さまを連れて、お迎えに来るまでぜひ生きていて下さーい」
 進少年は窓から、動く大地に祈った。
 ロケット船宇宙艇のスピードは、だんだんと早くなった。艇内のエンジンは気持よく動き、各員はその持ち場を守ってよく働いた。佐々《さっさ》記者は、今度は食料品係を仰《おお》せつかってまめまめしく立ち働いていた。
「おう、ミドリさん、どうも困ったことができた」
「まアいやですわ、艇長さん。何《ど》うしたのですの」
「この旧型《きゅうがた》の宇宙艇は、スピードの割にとても燃料を喰うんです。このままで行くと、三十万キロは行けますが、あと八万キロが全く動けない勘定《かんじょう》です。これは地球へ帰れないことになった。ああ……」
 当分二人だけの心配にして置いたが、出発後三日目には、どうしても公表しないわけにはゆかなくなった。
 この公表に対しては、一同は俄《にわ》かに面《おもて》を曇《くも》らせた。楽しい帰還の旅が、にわかに不安の旅に変ってしまった。
「一体どうすりゃいいんです。艇長に万事《ばんじ》一任《いちにん》しますよ」
 なんでも艇長の命令どおりにやるというのだった。そこで蜂谷はついに苦しい決心をしなければならなかった。
「皆さん。この上は誰か一人、この艇から下《お》りて頂《いただ》かねばなりません。それで公平のために抽籤《ちゅうせん》をします。赤い印のある籤《くじ》を引いた方は、貴《とうと》い犠牲《ぎせい》となって、この窓から飛び出して頂きます」一同は顔を見合わせた。

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