いわれるのは、無引力空間《むいんりょくくうかん》の通過だった。その空間は、丁度《ちょうど》地球の引力と月の引力とが同じ強さのところであって、もしそこでまごまごしていたり、エンジンが止《とま》ったりすると、そこから先、月の方へゆくこともできず、さりとて地球の方へ引かえすことも出来ず宙ぶらりんになってしまって、ただもう餓死《がし》を待つより外しかたがないという恐ろしい空間帯《くうかんたい》だった。
 蜂谷艇長《はちやていちょう》の巧《たく》みな指揮が、幸《さいわ》いにエンジンを誤らせることもなく、無事に危険帯を通過させたのだった。乗組員四名――いやいまは五名である――は、ホッと安堵《あんど》の胸をなで下ろした。
 やがて地球を出発してから十二日目、いよいよ待ちに待った月世界に着陸するときが来た。ここでは月は、まるで大地のように涯《はて》しなく拡《ひろ》がり、そして地球は、ふりかえると遥かの暗黒《あんこく》の空に、橙色《だいだいいろ》に美しく輝いているのであった。
「さアいよいよ来たぞ」と艇長はさすがに包みきれぬ喜色《きしょく》をうかべて云った。「じゃ大胆に『危難《きなん》の海《うみ》』の南に聳《そび》えるコンドルセに着陸しよう。皆、防寒具《ぼうかんぐ》に酸素|吸入器《きゅうにゅうき》を背負うことを忘れないように。……では着陸用意!」
「着陸用意よろし」
 猿田飛行士は叫んだ。彼はすっかり隙間《すきま》のないほど身固《みがた》めし、腰にはピストルの革袋《かわぶくろ》を、肩から斜《なな》めに、大きな鶴嘴《つるはし》を、そしてズックの雑袋《ざつぶくろ》の中には三本の酒壜を忍ばせて、上陸第一歩は自分だといわんばかりの顔つきをしていた。
「……着陸始めッ……」
 艇は速度をおとし、静かに螺旋《らせん》を描《えが》きながら、荒涼《こうりょう》たる月世界《つきのせかい》に向って舞《ま》いおりていった。
「ねえ蜂谷さん。着陸してから、どうなさるおつもり」
 とミドリがいった。
「やはり貴女《あなた》の電子望遠鏡にうつった白点《はくてん》を真先《まっさき》に探険するつもりですよ。途中いろいろと観測しましたが、あれは大きな孔《あな》なんですネ。しかも地球にある階段に似たものが見えるんですよ。ひょっとすると、人間が作ったものかも知れませんネ」
「ああ、もしや六角博士《ろっかくはかせ》や兄が生
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