れないのです。折角《せっかく》判るべき松風号の消息までもが絶えてしまうのは惜しいと思います。今は私共の手で出来るだけの事実を調べた上、松井田の精神状態が恢復《かいふく》してから、先生に真相を発表していただいても遅くはないでしょう」
「ごもっともです。ところで風間さんの遺族は今どうしていられますかね」
 相良十吉はこの間にハッと表情を暗くしたようであった。
「実はそれも一つ困っている点なのです。御承知かも知れませんが、あの事件からずっと風間夫人、すま子と言います、それを私が引きとって世話をしています。只今は戸籍面も私の妻になっていますし、真弓という二十になる娘もあるようなわけです」
「なるほど、風間氏が生きていたら、甚《はなは》だ事面倒になるわけですな」
「そのことについては私はもう決心をしています。だが風間は生きていましょうか。すま子には、まだ何事も話をしていないのです」
「よく調べて見ましょう。――それからもう一つ伺《うかが》いたいのです。あなたは松風号のどの部分を御設計でしたか」
「プロペラです」
 と十吉は、はき出すように答えた。
「プロペラの試験は、一番調子がよいとほめられた位です。あの設計は丸一年かかりました」
「それで只今のお仕事は」
「今は航空研究所の依頼品を監督して組立中です。何ものであるかは一寸申上げられませんが、航空機であることはたしかです」
 私のききたいことは終った。相良は松風号の行方不明に関する切抜記事帳を、参考にまでと言って私に差出したが、私は書棚の奥から、それの三倍もある松風号事件参考簿を見せてそれを断った。相良は一寸いやな顔をした。
「ではいつ御返事願えましょうか」
「明晩《みょうばん》までに」
 私は驚く相良を尻目にかけて、きっぱり言った。
「当日お電話しますから、どこへもお出掛けないように」
 相良が心配そうな顔をして室を出てゆくと入れちがいに執事の矢口が姿をあらわした。
「根賀地《ねがじ》さんから、お電話です」
 私は電話室の中に飛びこんだ。遠視電話のスクリーンには部下の根賀地の待ちくたびれた顔があった。私等は読唇術《どくしんじゅつ》で用談を片付けた。
「馬車を……。矢口」
 私はこの古風な乗物に揺《ゆ》られ乍《なが》ら推理をすすめて行くのが好きだった。
「中央天文台へ」
 私は上機嫌で命じた。中央天文台までは、ここからたっぷり二時間はかかるのであった。
 翌日は相良十吉に報告を約束した日だった。その朝も私は例のごとく十時に起きて、二三の訪客に接した。正午を過ぎると研究室に入って夕方まで机上執務《デスク・ワーク》を続けた。
 そこへ中央天文台にやってある根賀地|囃《はやす》が一枚の天文写真を持って入って来た。その写真は私の気に入らなかった。今度は相良十吉を遠視電話でよび出すと、彼に六時頃新宿の十字路街で私の自動車を待っていて呉れるように伝えた。彼の顔色は前日に増して悪かった。そのくせ一層大きくなったように見える血走った両眼《りょうがん》を、クワッと見ひらいて私の方を凝視《ぎょうし》しているのだった。私の顔付から何事かを読みとろうというような風だった。
 間もなく私と根賀地とは、目白の坂を下りて早稲田の方へ走る自動車の中に在った。山吹の里公園の小暗《こぐら》い繁みの中に入ったとき、思いがけなくドカンという銃声と共に、ウィンドー・グラスが粉微塵《こなみじん》にくだけちった。私はウムと左腕を抑《おさ》えた。咄嗟《とっさ》に自動車はヘッドライトと共に右へ急角度に曲った。ヘッドライトに浮び上った人影があった。逃げるかと思いの外、ヒラリと運転台につかまった。根賀地が横手の扉《ドア》をいちはやく開いて身体を車外にのり出すと怪漢《かいかん》は猶《なお》も二三発、撃ち出した。かまわずスピードを出そうとする運転手に、
「ストップだッ」
 と命令した。でも車体は尚|半丁《はんちょう》ほど前進した。車外へ出てみると、後方に根賀地と怪漢との乱闘しているらしい姿を認めた。駈けつける途中に、一方が仆《たお》れた。と思う間もなく正面から大きい身体がぶつかって来て私はもうすこしで胸板《むないた》をうちこわされるところであった。敵だ!
 不運にも私の背後から駈け出して来た運転手が一撃のもとに仆された。相手は中々|手強《てごわ》い。私の左腕はちぎれるように痛みを増した。急場《きゅうば》だ、ヒラリと二度目に怪漢の腕をさけると、三度目には身を沈め、下から相手の脾腹《ひばら》を突き上げた。ウームと恐ろしい唸声《うなりごえ》がして私の目の前に大きな身体がドサリとぶったおれた。
 やっと起き上って来た根賀地と運転手とが半ばきまりわる気に怪漢をグルグル捲《ま》きにしばった。
「先生お怪我は? してこいつは何奴《なにやつ》でしょう」
「わか
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