の代りに、四五人の怪漢が、ドッと飛び出して来た。言わずと知れた「狼《ウルフ》」の配下の者だった。
「狼《ウルフ》」も運転台から、泥まみれになって降りて来た。その手には、ブローニング拳銃《ピストル》を握って、こっちを睨《にら》んで立った。
 こっちには、後藤運転手の手に、軽機関銃《けいきかんじゅう》が握られていた。
「手をあげろッ」大尉は怒鳴《どな》った。
 いくら大胆不敵な者共《ものども》であっても、機関銃には叶《かな》う筈が無かった。彼等は、静かに手をあげた。
「オイ狼《ウルフ》」大尉は降服者の前に立った。「いよいよお気の毒な運命になったネ。ところで戸波博士を渡して貰いたい」
「戸波博士は亡《な》くなられた」狼《ウルフ》が沈痛な面持をして答えた。
「えッ、博士は亡くなられたというのか。帝国の運命は、遂《つい》にああ……」
「莫迦を云うなッ、卑劣漢《ひれつかん》」狼《ウルフ》のうしろから帆村が怒鳴《どな》った。
「大尉どの、博士は健在です。牛乳車の奥に、監禁されていましたぞォ」
「なに、博士が……」
 なるほど頤髯《あごひげ》に見覚《みおぼ》えのある戸波博士が、帆村の手によって牛乳車の中から助け出されていた。
「やッ」どこに隙間《すきま》を見出したのか、「狼」は大尉の脇の下をくぐって、猛然と博士の方へ飛び掛った。
「なにをッ」山太郎が横合いからムズと組付いた。
 この機会を外《はず》してはというので「狼《ウルフ》」の配下は、一度に反抗してきた。最早《もはや》機関銃もピストルも間に合わなかった。敵味方は肉体を以て相手の上に迫って行った。
 乱闘、又《また》、大乱闘。
 どこから飛んで来たのか、乱闘の現場に近く、一台の偵察機が、低く舞《ま》い下《さが》って来た。誰も気付かぬ裡《うち》に、機体からスルスルと、縄梯子《なわばしご》が下ろされ、やがて飛行服に身を固めた人が、機上から姿を現わすと、一段一段と、梯子を下りて行った。とうとう一番下の段まで来たときに、上を向いて合図をした。
 この不思議な飛行機は、宙乗りの人物を釣り下げた儘、乱闘の真唯中《まっただなか》を目懸けて、いよいよ低く舞い下ってきた。プロペラを急に停めたのは、速度を下げるためだと思われたが、何という大胆な振舞《ふるまい》であろう。一体、何をしようというのか。
 敵も味方も、突然飛びこんで来た怪物に、ソレと気がついて逡《たじろ》いだ。
「呀《あ》ッ」
 という瞬間に、宙乗りの人物は、右手《めて》を横にグッと伸ばすと、戸波博士をヤッと抱きあげた。博士の両足は、地上を離れた。
 それを合図のように、飛行機は、又|漠々《ばくばく》たるプロペラの響をあげ、呆気《あっけ》にとられている「狼《ウルフ》」の一団を尻目に、悠々と空中へ舞い上っていった。
「これで、祖国は救われたッ」
 草津大尉が、沈痛な声を発して、ハラハラと涙を流した。
「さア、これで安心して、やっつけてやるぞオ」山太郎が「狼《ウルフ》」の腕をねじあげた。
「大尉どの、磯崎へ急ぎましょう。どんなものを拵《こしら》えているか、心配です」そういったのは帆村探偵だった。
 陸軍偵察機の縄梯子の上では、戸波博士と警備司令部の快漢塩原参謀とが、感激の色を浮べて、挨拶を交《か》わしていた。


   空襲葬送曲《くうしゅうそうそうきょく》


 磯崎《いそざき》神社前の海辺《うみべ》に組立てられた高さ五十尺の櫓《やぐら》の上には、薄汚れた一枚の座布団《ざぶとん》を敷いて、祖父《そふ》と孫とが、抱き合っていた。
「三ちゃんや、まだ何にも見えないかい」眼の不自由な老人が、優しく尋《たず》ねた。
「うん、まアだ、何にも見えないよ。おじいちゃんのお耳にはまだ飛行機の音は聞えないの」
 三吉は大きな黒眼をグルグル動かして、下から祖父の顔を見上げた。
「飛行機の音はしないけれどネ、大砲の音はだんだん近くなって来たよ。プロペラの音は小さいから、飛んでいても中々区別がつかないのだよ。三ちゃん、見落さないように、左から右へと、ソロソロ見廻わしているのだよ」
「ああ、いいよ。僕、早く見付けて、伯父さんの拵《こさ》えたこの電話機でネ、東京に住んでいる人と話をしたいの」
「そうか、そうか」
「さっき僕と話をした東京の人は、お姉ちゃんだったよ」
「電話局の交換手さんだからネ、交換手はお姉ちゃんに極《きま》っているのだよ」
「そのお姉ちゃんに僕、訊《き》いてみたの。お姉ちゃんには、お母ちゃんと、そいからお父ちゃんもいるのッて尋《たず》ねたらネ……」
「うん」
「お父ちゃんも、お母ちゃんも居る筈なんだけれどネ、アメリカの飛行機が爆弾を落として、お家を焼いちゃったもんだからネ、どこへ行っちゃったか、判らないのッて云ってたよ。可哀想《かわいそう》だねーェ」
「――オヤ、これは……。おう、プロペラの音が聞こえる」
「ああ、見える、見える。一つ、二つ、三つ……」
「方角は、真東《まひがし》。おや、こっちの方にも聞こえる。三ちゃん。船神磯《せんじんいそ》の方には、何か見えないかい」
「船神磯の方? ああ、来たよ来たよ。飛行船が三つ――随分高く飛んでいるよ。おじいちゃん、電話を懸けていい!」
「そうじゃ、そうじゃ。間違うといけないから、落着いて掛けるのだよ」
 櫓《やぐら》の上《うえ》に、リリリリンと、可愛いい呼鈴《よびりん》の音がした。盲目の老人と、幼い子供の協力によって、警報は発せられた。真東から襲いかかるは、太平洋戦|崩《くず》れの、爆撃隊であろう。北の方から、しずしずと下って来るのは、アラスカを通ってきた飛行船隊に違いない。磯崎岬《いそざきみさき》の、この可憐《かれん》なる防空監視哨は、思い懸けない大手柄を樹《た》てた。少くとも三百万の帝都人は、直ちに、避難と防毒の手配に着手することができた。所沢《ところざわ》と立川《たちかわ》との飛行聯隊、霞《かすみ》ヶ|浦《うら》と追浜《おっぱま》の海軍航空隊、それから東京愛国防空隊の二十機は、一斉に飛行場から空高く舞い上った。
 白日《はくじつ》の下《もと》の大空襲!
 二千機に余る精鋭なる米国空軍の襲来!
 十五万|瓩《キロ》の爆弾を抱えた悪魔空中艦隊!
 この大空襲の報を耳にした帝都の住民の顔色は、其の場に紙の如く青褪《あおざ》めたであろうか。
 否《いな》! 否!
 先の空襲で、全市に亙《わた》る爆撃をうけたときは、覚悟していた以上の惨害《さんがい》を蒙《こうむ》ったので、一時は気が変になったほどだった。しかし、自分の懐かしい家は無くなり、美しい背広《せびろ》も、丹精《たんせい》した盆栽《ぼんさい》も、振りなれたラケットもすべて赤い焼灰《やけばい》に変ってしまったことがハッキリ頭に入ると、反《かえ》って不思議にも胆力《たんりょく》が据《すわ》ってきた。
 こうなったら、非戦闘員も、戦闘員もあるものか。男も女も無い。子供も老人もない。障害者も病人もない。銃の引金を引く力の残っている者は、銃をとって前線に出ろ! 防毒薬のバケツを下げる力のある者は、救護班に参加しろ!
 ――こうして、第一回の空襲によって大和魂《やまとだましい》を取戻した市民たちは、眼の寄るところへ玉《たま》の比喩《たとえ》で、だんだんと集り、義勇隊《ぎゆうたい》を組織して行った。それには出征に、取残された男は勿論《もちろん》のこと、女もあれば、老人もあった。帝都の秩序は、平時以上に恢復した。涙を流している者は、一人も見当らなかった。皆が皆、燃えるような愛国心、鉄のような忍耐心を持って兇暴な敵の空襲に立ち向ったのであった。
 国民のこの盛んなる意気は、敵艦敵機を向うに廻して奮戦している太平洋上のわが兵員の上にも、響いていった。
 攻撃力の弱い旧型|駆逐艦《くちくかん》の如きは、敵の航空母艦に撃沈されるのは覚悟の上で、それでも万一|天佑《てんゆう》があって撃沈までの時間が伸びるようだったら、その機を外《はず》さず、下瀬火薬《しもせかやく》のギッシリ填《つま》った魚雷《ぎょらい》を敵艦の胴中《どうなか》に叩き込もうと、突進して行った。
 潜水艦の機関兵員は、熱気《ねっき》に蒸《む》された真赤な裸身《らしん》に疲労も識《し》らず、エンジンに全速力をあげさせ、鱶《ふか》のように敏捷《びんしょう》な運動を操《あやつ》りながら、五度六度と、敵の艦底を潜航し、沈着な水雷手に都合のよい射撃の機会を与えたのだった。
 砲熕《ほうこう》の前へ、ノコノコ現われて、敵弾から受けた損傷の程度を調べに行った水兵があった。
 一番砲手も、二番砲手も、皆倒れてしまうと、その後から信号兵が一人現れて、不慣《ふなれ》な砲撃を続けたという話もあった。
 だが、どうにもならなくなったのは、敵の空軍の圧倒的|偉力《いりょく》だった。
 敵艦を沈没させるのは自信があったが、敵機を射ち落すことは、中々うまくゆかなかった。そのうちに、味方の飛行隊の隙《すき》を覘《ねら》って押し寄せた爆撃隊から、多量の爆弾が切って落されると、偉力《いりょく》を誇る十六|吋《インチ》砲も、飴《あめ》のように曲ってしまった。
 この調子が永く続くと、敵艦隊を圧迫した我が艦隊は、遂《つい》に反対の悲運に陥《おちい》らなければなるまいと思われた。
「見ちゃいられんな」陸奥《むつ》の艦上三千メートルの上空に、戦闘機を操縦し、防戦につとめている千手大尉が舌打ちした。
「いまいましいメリケン空軍の奴原《やつばら》だ」
 その慄悍《ひょうかん》なる敵機の一隊は、目標を旗艦|陸奥《むつ》に向けて、突入してきた。
「やってきたなッ。吾輩の射撃の腕前を知らないと見えるな」
 千手大尉は、照準を敵機の司令機の重油タンクの附近につけた。出来るなら、陸奥の艦上から、敵機を離したいと思ったが、それは反《かえ》って容易に、敵の爆撃に委《まか》せるようなものであった。万一のことを思うと、鳥渡《ちょっと》、慄然《りつぜん》としないわけに行かなかった。
(旗艦《きかん》陸奥《むつ》が、爆沈されたらば、わが艦隊の士気は、どんなに喪《うしな》われることだろう!)楽天家の大尉も、今日ばかりは、不安に思わずにはいられなかった。
 だが、事ここに至って、躊躇《ちゅうちょ》はいけない。
「戦闘用意!」大尉は、僚機の方へ、手を振って合図をした。
「戦闘始めイッ!」
 エンジンを全開にして、宙返りの用意を整《ととの》えながら、全速力で敵機へ突入した。
 敵は早くも機首を下げて、襲撃の形を示した。
 そのとき、極めて不思議なことが起った。まだ二|聯装《れんそう》の機関銃の引金を引かないのに、向ってきた敵機は、爆弾でも叩きつけられたかのように、機翼全体に拡がる真赤な火焔に裹《つつ》まれ、木の葉のように、海上目懸けて、墜落して行った。大尉は、まるで狐につままれたような気がした。始めて気がついて、すこし遠くの空間を見廻わすと、これはどうしたというのだろう。あちらでもこちらでも、まるで松明行列《たいまつぎょうれつ》を見るように、米軍の大小の飛行機が、火焔に包まれ、真黒な煙を蒙々《もうもう》と空中に噴き出しながら、海面へ向けて、落ちて行くのが見えた。
 途端に――
「ぶわーッ」
 大尉は機胴《きどう》に、恐ろしい衝動を感じた。
「やられたかッ」
 大尉は、それでも、反射的に水平舵《すいへいだ》を引いた。
「おお、あれはメーコン号だッ」
 覚悟をした大尉の戦闘機は、何の苦もなく平衡《へいこう》をとりかえし、何事も無かった。
 大尉を驚かせたのは、米艦隊の最上《さいじょう》の空に、守《まも》り神《がみ》のように端然《たんぜん》と游泳《ゆうえい》をつづけていたメーコン号が、一団の火焔となって、焼け墜ちてゆくのを発見したことだった。
「うん、判ったぞオ。これは怪力線《かいりょくせん》に違いない。噂《うわ》さに聞いた怪力線の出現。ああ、そうだ。紙洗大尉の奴、井筒副長から何か言われてたっけが、あれが『天佑《てんゆう》』の正体《しょうたい》なんだな」
 真下を見ると、陸奥の艦橋《かんき
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