》く三万五千メートルの射程《しゃてい》に入ろうとして、専《もっぱ》ら注意力を、前方に送っていた。
 旗艦《きかん》セントルイスの司令塔の奥深く、聯合艦隊司令長官ブラック提督《ていとく》は、移りゆく戦況を、主要なる艦艇から送られているテレヴィジョンによって、注目していた。
「戦況を、五分五分に保ち得ているところを考えると、最後の勝利は、わがアメリカに在ることが明瞭《めいりょう》じゃ」提督は静かに幕僚《ばくりょう》を顧《かえり》みて云った。
「同感申しあげます、我等の閣下」
「わが空軍の活躍は、アクロン号、いや、こいつは、間違った――ロスアンゼルス、バタビウス、サンタバーバラの飛行船隊と合《がっ》することによりて、絶頂に達することじゃろう。この空軍だけでも日本全土を、征服してしまうことは、訳のないことじゃ。艦隊の主力たる我が艦列の、彼に勝《まさ》ること一倍半なることは、此後《このご》の戦況に、大発展を予約しているものじゃ。要するに日本海軍というも、日本人というも、栄養不良のヒステリー見たいなものだ。布哇《ハワイ》を見い。あれだけの日本人が居ってグウの音も出ないじゃないか。尤《もっと》も我が米軍の警戒も、完全にやっているせいもあるが、そこへ持ってきて、此の海戦地点たるや日本の海岸を去る七百キロという近さじゃ。ちょいと手を伸ばせば、日本の本土に手が届く。艦上機も、着艦の心配は無用じゃ、一と思いに、日本の飛行場を占領して降りればよい」
「ですが、閣下、日本の飛行場は、到底《とうてい》我等の飛行機全部を収容しきれんだろうと考えますが……。例えばハネダ飛行場にしましても……」
 ここまで喋《しゃべ》ってきたとき、けたたましいベルが鳴り渡ると共《とも》に、コロラドと書いた名札の下に、赤いパイロット・ランプが点いて、専属高声器が、周章《あわ》てふためいた人声を発した。
「提督閣下《ていとくかっか》。わがコロラドは、急速に沈下しつつあります。機雷に懸ったものか、魚雷を受けたものか、附近の兵員からの報告がありませんので、目下取調べ中であります」
「なに、コロラドが、沈没を始めた。何を油断していたのじゃ」
 そこへまた、チリリリリとベルが、鳴って、其の隣りのウェスト・バージニアのところに、赤いランプがついた。
「こちらは、ウェスト・バージニアです。唯今潜水艦から、魚雷を喰ったようであります。直《す》ぐに救援隊を御派遣ねがいたい」
「莫迦《ばか》な奴じゃ」提督は、いよいよ苦虫《にがむし》を噛んだような顔をした。演習ではあるまいし、救援が出来るものか。それにしても潜水艦とは、可笑《おか》しいな、敵の潜水艦は、先刻からみているが始めの位置を動いたのは、一隻《いっせき》も居ない筈《はず》じゃが……
 提督が、不審顔で、頤《あご》に手を当てた其の瞬間だった。
 めり、めり、めりッ――
 司令塔が、馬の背から振り落されでもしたかのように、ひどい傾斜と共に、ガラガラと器物が転落を始めた。
「ど、どうしたッ」提督は、思わず椅子の上から突立って、サッと顔色を変えた。
「日本の潜水艦だッ」
「もう二分と経たない間に沈んでしまうぞ」同室の将校達は、奇声《きせい》をあげて、非常梯子の滑《すべ》り金棒《かなぼう》に飛びつくと吾勝《われが》ちに、第一|甲板《かんぱん》の方を目懸けて、降りて行った。
 提督は一人残されてしまった。高声器が間に合う筈だったのに、今日に限って、ウンともスンとも鳴らない。彼は覚悟《かくご》を極《き》めて、安全|硝子《ガラス》の貼ってある窓の傍に駈けつけた。そのとき下から、三等水兵が、真赤な顔をして上ってきた。
「閣下、本艦は日本潜水艦に、舵器《だき》を半数破壊されました。従《したが》って速力が半分に減じまするから、至急、隣に居りますソルトレーキへ御移りを願います」
「なに、本当に潜水艦か! おお、あすこの水面へ浮び上った。呀《あ》ッ、イ型一〇一号※[#感嘆符疑問符、1−8−78] すると曩《さき》にカリフォルニアの沖合で、襲来した自由艦隊の生き残りじゃな。あのとき一〇一号は射ち止めたと思ったのに……」
「閣下、お早くねがいます」
「莫迦《ばか》なことを云え。砲術長は何をしているのじゃ。あの潜水艦を、何故早く射撃しないのじゃ。あれがマゴマゴしている裡《うち》に、旗艦移乗《きかんいじょう》なんて、どうして出来るものか」
 司令塔の外へ出てみると、混乱は更にひどかった。主力艦の列を、背後から不意に、まったく勘定に入れてなかった幽霊潜水艦隊から攻撃をうけたものであるから、驚くのも無理ではなかった。
 ひょっくり現れた伊号一〇一潜水艦は、大胆不敵にも、大混乱を始めている主力艦の後方に浮び上り、永らく中絶していた味方の艦隊との連絡をつけるために、搭載《とうさい》していた飛行機を送り出すと、手際《てぎわ》も鮮《あざや》かに、再び水底深く潜航して行った。
 潜水艦から離れた艦上機の操縦席についていたのは、別人《べつじん》ならぬ花川戸《はなかわど》の鼻緒問屋《はなおどんや》の二番息子の直二《なおじ》であった。前に戦死と認知《にんち》されて、死亡通知の発せられた幽霊人《ゆうれいじん》だった。しかし彼は傷《きずつ》いた艦と共に、辛苦を分かち、墨西哥《メキシコ》の某港《ぼうこう》によって秘かに艦の修理に従事し、その完成を待って、再び太平洋の海底にもぐり、僚艦と一緒に、秘密の行動についていたのであった。
 直二と先任将校の乗っている艦上機は、予定通り、近所を航進中の、駆逐艦|山風《やまかぜ》に救い上げられた。山風は直ちに隊列を離れて、旗艦陸奥《きかんむつ》に向けて急航して行った。やがて彼等は、大鳴門《おおなると》司令長官の前に立って、米国艦隊の退路を絶つ機雷の敷設《ふせつ》状況と、なお布哇《ハワイ》攻略の機が如何に熟しているかを、審《つぶ》さに報告することであろう。
 それは後のこととして、主力艦を瞬時《しゅんじ》の裡《うち》に、三隻までも失った米艦隊は、やっと東洋遠征に誤算のあったことを気付いた。と云って、此処《ここ》まで来て引上げることは許されないことであった。ブラック提督は、海軍の敗戦を、何とかして、空軍の強襲によって、取戻そうと決心した。
 彼は厳然《げんぜん》たる威容を、とりもどして、即時全空軍に命令を発した。
「今より吾が米国聯合艦隊所属の空軍二千機は、一機をも剰《あま》すところなく直ちに艦上を離れ、空中に於て強行戦闘隊形を整《ととの》え日本艦隊及びそれに属する空軍とを撃破し、以て吾が艦隊の不利なる戦績を救済《きゅうさい》すべし。尚《なお》余力《よりょく》あるに於ては、長駆カシマ灘《なだ》よりトーキョー湾に進撃し、首都トーキョー及びヨコハマの重要地点を攻撃すべし。ブラック提督」
 この一大決心を含めた命令が各隊に伝わると、飛行隊の将卒は、非常なる感激に打たれた。六対十の比率に安心していたのも空《むな》しく、今自分達が出て奮戦しないと、この儘《まま》懐しい故郷へ帰れないことになるらしいのであった。残された唯一つのチャンスを掴《つか》むことについて、不熱心になるものは誰一人として無かった。
「さア、ジャップの奴を、のしてしまえ」
「行こう、行こう。メリーのために」
 忽《たちま》ち米艦隊の真上には、蜜蜂《みつばち》の巣を突《つつ》いたように、二千台の戦闘、偵察、攻撃、爆撃のあらゆる種類を集めた飛行機が一斉に飛び上った。天日は俄かに暗くなった。
 これに対して、精鋭を謳《うた》われた皇軍の飛行機は、三百台ばかりが飛んでいたが敵の大空軍に較べて、なんと見窄《みすぼら》しく見えたことであったか。流石《さすが》に沈着剛毅な海軍軍人たちもこの明かな数量の上の不釣合に重苦しい圧力を感ぜずにはいられなかった。
 勝敗は、何処《いずこ》へ行く?


   愛国者よ頑張《がんば》れ


 千葉県を横断して、茨城県に通ずる幅の広い県道を、風を截《き》って驀進《ばくしん》する一台の幌自動車があった。スピード・メーターの指度は四十|哩《マイル》と四十五哩との間に揺《ゆら》めいているほどの恐ろしい高速度であった。
「もう水戸が見える筈だ」そう云ったのは、賊を追って、お茶の水の濠傍《ほりわき》から、戸波研究所の地下道を突撃して行ったことで顔馴染《かおなじみ》の、参謀|草津《くさつ》大尉であった。
「まだ飛行機は見えないようですな」張《は》り仆《たお》されるような窓外《そうがい》へ首を出したのは、例の私立探偵帆村荘六に外《ほか》ならなかった。
「ねえ帆村さん」もう一つの声が、隅ッ子のクッションから聞こえた。大きな図体《ずうたい》の男、それは戸波博士の用心棒だった筈の山名山太郎であった。「先生は、大丈夫でしょうな」
「なんとも云えない」帆村は、唇を僅かに綻《ほころ》ばして云った。「なにしろ用心棒の山名山太郎氏が傍にいないものだからネ」
「もうそいつは言いっこなしにしましょう」
 山太郎は極《きま》りわるそうに頭を抱えた。
 どうやら一行の目的は、国宝の科学者戸波博士を捜し出そうということにあるらしい。
「茨城県磯崎に『狼《ウルフ》』の巣を見付け出したのは、何といっても驚嘆《きょうたん》すべきお手柄だ」草津大尉は、前方を注視しながら、独言《ひとりごと》のように云った。
「いやそれは二人の女性の手柄なんです。一人は危険を覚悟で『狼《ウルフ》』の身辺《しんぺん》につきまとっている紅子《べにこ》というモダン娘、もう一人は、紅子の密書を拾って逸早《いちはや》く僕のところへ通報して寄越した真弓《まゆみ》という若い女」
「ほほう、密書を拾って通報したのは女性なのかい。しっかりした女だなア」
「……」探偵は無言で微苦笑《びくしょう》をした。「僕は結局大した働きもしませんでしたよ。磯崎《いそざき》のジュラルミン工場のオヤジが、狼《ウルフ》であることを偶然発見したこと位です」
「あれは特筆すべきお手柄だったが、よく判ったものだね」
「草津大尉どの。太平洋戦争の其後の模様はどうなりました?」
「偵察機隊が火蓋を切ったそうだ。海軍の策戦《さくせん》が図に当って、敵軍は稍疲《ややつか》れが見えるそうだ。しかし勝敗はまだどこへ行くとも判っていない。だが少くとも戸波博士を、ここ一二時間の裡《うち》に奪還できない限り、帝国の勝算は覚束《おぼつか》ない」
「先生を悪人が殺すようなことは、無《ね》ぇでしょうか」
 山太郎が又心配した。
 このとき前方に注目していた帆村探偵が、突然叫んだ。
「草津さん、妙なものが、向うからやって来ますぞッ」
「ほほう、ありゃ牛乳運搬自動車らしいな」
「ところが大尉どの、御覧なさい、牛乳車の癖に莫迦《ばか》にスピードを出していますよ」
「五十|哩《マイル》は出していますよ」運転手が云った。「すこし危いですが、この調子でつっぱしらせてようございますか」
「構わん、やれッ」
「承知しましたッ」運転手は巧みに把手《ハンドル》を操《あやつ》った。彼の頸筋《くびすじ》には、脂汗《あぶらあせ》が浮んで軈《やが》てタラタラ流れ出した。
 距離はだんだん迫って来た。
 二千メートル、千メートル、五百メートル……。
「呀ッ、『狼《ウルフ》』の奴だ!」帆村が躍りあがって叫んだ。
「なに、ウルフかッ」大尉は叫んだ。「後藤、力一杯ブレーキをかけて左側の水田《すいでん》の中へ自動車を入れろッ」
 そう命令すると、大尉は座席の横から一|抱《かか》えもある鎖《くさり》を、車外《しゃがい》に抛《ほう》り出《だ》した。途端に、車体はぐぐッと曲った。そして、大きな水煙りをあげると、どすンと水田の中に、急停車した。
「それッ、皆、飛び出せッ」
 出てみると、そこから三百メートルと距《へだ》っていないところに「狼《ウルフ》」の乗っていた牛乳自動車が車輪に釘《くぎ》の出ている鎖《くさり》を搦《からま》せ水田の中に頭部を突入して動かなくなっていた。
 駈けつけてゆく裡《うち》に、牛乳車の函車《はこぐるま》が内からパクリと開いて牛乳缶
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