て忍びないです」
「ああ、兄さんも、お父さんも、ありがとう。どっちも、三吉の身の上を、それぞれ思っていて下さるのです。あたしは決心しました。三吉も、お祖父さんと行きたいと云っている位だから、あたしは母親として、それを許しますわ。今は、日本の国の、一つあっても二つあるとは考えられない非常時です。この磯崎では、一人の三吉を不憫《ふびん》がっていますけれど、あすこから電話線を伝《つた》って行ったもう一つの端の東京には、三吉みたいな可愛いい子供さんが何十万人と居て、同じようにアメリカの爆弾の下に怯《おび》えさせられようとしているんです。そのお子さん達の親たちは、お父さんも、あたしのような母親も、どんなにかせめて子供達だけにでも、空襲の恐怖から救ってやりたいと考えていらっしゃるか知れないんです。あたしはそれを思うと、その大勢の同胞のために、喜んで三吉を、防空監視哨の櫓《やぐら》の上に送りたいと思います。いいでしょう、兄さん」
「それは立派な覚悟だ」浩は熱い眼頭《めがしら》を、拳《こぶし》で拭《ぬぐ》いながら返事をした。「建国二千六百年の日本が滅亡するか、それとも生きるかという重大の時機だ。私はお前の覚悟に感心をした。それと共に、年老いたお父さんの御決心にも頭が下るのを覚える。では、お父さん、三ちゃん、行って下さいますか」
「よく判ってくれて、こんなに嬉しいことは無い」老父も流石《さすが》に、感極《かんきわ》まって泣いていた。
「なア、三坊、お祖父さんと一緒に、日本の敵のやってくるのを張番《はりばん》してやろうな」
「ウン、あの磯崎神社《いそざきじんじゃ》の傍《わき》の櫓《やぐら》なら、さっきよく見てきたよ。お祖父ちゃんと一緒に昇れるのなら、僕、嬉しいな。アメリカの飛行機なんか、直ぐ見付けちゃうよ。ねえ、お祖父《じい》さん」
「おお、そうだ、そうだ」
三吉の無邪気な笑いに、一家は喜んだり、泣いたりした。
「真弓、もう時間もないことだ。さァ急いでお前は、東京へ電話をかけるんだ。僕は町長さんのところへ行って、お父さんと三ちゃんの志願のほどを伝えて来よう」
「そう、愚図愚図《ぐずぐず》してられないわねエ」
二人は、弾条仕掛《ばねじか》けのように、立上った。
太平洋の大海戦《だいかいせん》
正確にいうと、昭和十×年五月二十一日の午前十一時五十分日米両艦隊は、いよいよ真正面から衝突したのであった。地点は、正しく北緯四十度、東経百五十度附近の海上で、青森県を東へ行くこと九百キロのところだった。
主力の距離は、まだ五万メートルからあって、火蓋を切るところまでは行かなかったけれど、隊形は、米国艦隊が飽くまで南西の進路を固執《こしつ》し、一挙|鹿島灘《かしまなだ》から東京湾を突こうというのに対し、我が日本艦隊は真南から襲い懸って、一艦一機を剰《あま》さず、太平洋の底に送り込もうというのであった。
航空母艦から飛び出して、敵艦隊の動静を窺《うかが》っていた両軍の偵察機隊が、定石通《じょうせきどお》りぶっつかって行った。真先に火蓋《ひぶた》を切ったのは、米国軍だった。シャボン玉でも吹き出した様《よう》に、パッパッと、真白な機関銃の煙が空中を流れた。わが偵察機は、容易に応射の気配《けはい》もなく、無神経に突入して行った。
真下《ました》の海上では、米軍の偵察艦隊が漸《ようや》く陣形をかえ、戦闘隊形へ移って行く様子であった。これに対して米軍の駆逐艦隊は可也《かなり》高い波浪《はろう》にひるんだものか、それとも長い航洋に疲れを見せたものか、ずっと側面《そくめん》に引返して行った。
日本艦隊の加古《かこ》、古鷹《ふるたか》、衣笠《きぬがさ》以下の七千|噸《トン》巡洋艦隊は、その快速を利用し、那智《なち》、羽黒《はぐろ》、足柄《あしがら》、高雄《たかお》以下の一万噸巡洋艦隊と、並行の単縦陣型《たんじゅうじんけい》を作って、刻々《こくこく》に敵艦隊の右側《うそく》を覘《ねら》って突き進んだ。
その背後には、摩耶《まや》、霧島《きりしま》、榛名《はるな》、比叡《ひえい》が竜城《りゅうじょう》、鳳翔《おうしょう》の両航空母艦を従《したが》え、これまた全速力で押し出し、その両側には、帝国海軍の奇襲隊の花形である潜水艦隊が十隻、大胆にも鯨《くじら》の背のような上甲板《じょうかんぱん》を海上に現わしながら勇しく進撃してゆくのであった。
そのまた左翼にやや遅れて、我が艦隊の誇るべき主力、旗艦|陸奥《むつ》以下|長門《ながと》、日向《ひゅうが》、伊勢《いせ》、山城《やましろ》、扶桑《ふそう》が、千七百噸級の駆逐艦八隻と航空母艦|加賀《かが》、赤城《あかぎ》とを前隊として堂々たる陣を進めて行くのであった。
別動隊の、大型駆逐艦隊は、やや右翼前方に独立して、米国潜水艦隊を警戒すると共に機会さえあれば、敵陣の真唯中へ、魚雷《ぎょらい》を叩きこもうとする気配を示していた。
艦数に於ては劣っているが、永年全世界の驚異の的である此の「怪物艦隊」は、待ちに待ったる決戦の日を迎え、艦も砲も飛行機も兵員もはちきれるような、元気一杯に見えた。
旗艦《きかん》陸奥《むつ》の檣頭《しょうとう》高く「戦闘準備」の信号旗に並んで、もう一連《いちれん》の旗が、するすると上って行った。
「うむ」
「おお」
艦隊の戦士たちは、言葉もなく、潮風《しおかぜ》にヒラヒラとひらめく信号旗の文句を、心の裡《うち》に幾度となく、繰返し読んだ。
「建国二千六百年のわが帝国の存亡《そんぼう》此《こ》の一戦に懸る。各兵員|夫《そ》れ奮闘せよ」
おお、やろうぜ!
さア、闘おうぞ!
大和民族の腕に覚えのほどを見せてやろう。
一死報国!
猪口才《ちょこざい》なりメリケン艦隊!
――各艦の主砲は、一斉にグングン仰角《ぎょうかく》を上げて行った。
弾薬庫は開かれ、砲塔の内部には、水兵の背丈ほどある巨弾が、あとからあとへと、ギッシリ鼻面《はなづら》を並べた。
カタパルトの上には、攻撃機が、今にも飛び出しそうな姿勢で、海面を睨《にら》んでいた。
艦橋の上に、器用に足を踏まえている信号兵は、目にも止まらぬ速さで、手旗を振っていた。
高い檣《ほばしら》の上からは、戦隊と戦隊との連絡をとるために、秘密の光線電話が、目に見えない光を送っていた。
ぶるン、ぶるン、ぶりぶりぶり――
航空母艦の飛行甲板からは、一台又一台と、殆んど垂直の急角度で、戦闘機が舞い上ってゆくのであった。灰白色《かいはくしょく》の機翼に大きく描かれた真赤な日の丸の印が、グングン小さく、そして遠くなって行った。
一隊又一隊と、空中では何時《いつ》の間にか、三機、五機、七機と見事な編隊を整《ととの》え、敵の空中目指して突入して行った。
遥《はる》か後方からは、爆撃機の一隊が、千百メートル、千二百メートルと、だんだん高度を高めて行くのが見えた。厚いフロートのついた大きな飛行艇は、やっと波浪の高い海面から離れ、主力艦の列とすれすれに飛んでいた。
一秒一秒と、両軍の陣形は、目に見えて著《いちじる》しい変化を示して行った。息づまるような緊張が、兵員たちの胸を、ビシビシと圧しつけて行った。
ぱッ、ぱッ、ぱッ、ぱッ――
敵軍の偵察艦隊から、殆んど同時に、真黄色《まっきいろ》な煙が上った。十門|宛《ずつ》の八|吋《インチ》砲《ほう》が、一斉に火蓋を切ったのだった。
ど、ど、ど、どーン。
ぐわーン、
加古《かこ》、古鷹《ふるたか》、青葉《あおば》、衣笠《きぬがさ》の艦列から千メートル手前に、真白な、見上げるように背の高い水煙が、さーッと、奔騰《ほんとう》した。どれもこれも、一定の間隔を保って、見事に整列していた。もう千メートルほど、近かったら、我が軍の精鋭なる巡洋艦隊は、可也《かなり》大きい損傷を蒙《こうむ》る筈であった。
五秒、十秒、十五秒、煙りが、斜横に、静かにずれて行った。
シカゴ、ルイズヴィル、ハウストン、イリノイ、フェニックスの砲口は、次の射撃に備えるために、じわじわと仰角《ぎょうかく》をあげて行くのが見えた。
司令艦衣笠の司令塔からは、全艦へ向って急遽《きゅうきょ》命令が伝達された。
「全速力三十六|節《ノット》!」
驚くべき命令が発せられた。
給油管は全開となり、喞筒《ポンプ》はウウーンと重苦《おもくる》しい呻《うな》りをあげ激しい勢いで重油がエンジンに噴《ふ》きこまれて行った。ビューンとタービンは、甲高い響をあげて速力を増した。機関室の温度計の赤いアルコール柱はグングン騰《あが》って行った。
途端《とたん》に、艦列を斜めに外《そ》れて、又一連の水煙りが上った。二度目の砲弾が降って来たのだった。照準は、最初よりも狂いがひどく入って来たので、敵艦隊は、明かに狼狽《ろうばい》の色を見せはじめた。
「取舵《とりかじ》一杯」
司令艦の衣笠《きぬがさ》から青葉《あおば》、古鷹《ふるたか》という順序で見る見るうちに、艦首が左へ、ググッと曲って行った。
キリキリキリー
それに応じて、六門の主砲が、右舷の方へ旋回して行った。
測距儀《そっきょぎ》に喰い下っている士官は、忙しく数字を怒鳴っていた。砲術長は、高声器から、射撃命令を受けとると腕時計を見守りながら電気発火装置の主桿《しゅかん》を、ぐッと握りしめた。
(もうあと、五秒、四秒、三秒、二秒……)
もう一秒だッ。
「そこだッ!」
ううーンと主桿を倒した瞬間に、くらッくらッと眩《くら》むような閃光が煌々《こうこう》と、続いてずしーンと司令塔が真二つに裂けるような、音とも振動ともつかない大衝動《だいしょうどう》が起った。
「うう、見事に命中! おお、シカゴは、弾薬庫をやられて、爆発を始めたぞオ」
「うわーッ、万歳」
「万歳はまだ早い。止《とど》めの一弾を、早く用意せいッ」
主砲係りの兵員は、火薬の煙に吹かれた真黒な顔の中から、キリリと白い歯列を見せて、一弾又一弾と、重い砲弾を装填《そうてん》していった。
敵の最前列を占めていた巡洋艦隊は、次第に列を乱して行った。
その隙《すき》を目懸《めが》けて、摩耶《まや》を司令艦とする高雄《たかお》、足柄《あしがら》、羽黒《はぐろ》などの一万噸巡洋艦は、グングン接近して行った。的《まと》と覘《ねら》うは、レキシントン級の、大航空母艦であった。
しかし、米国の誇りとする軽巡洋航空母艦隊は逸早《いちはや》くその企《くわだ》てを知って、ますます空中に数を増す空軍の中から、快速力と爆撃力とに優れたカーチス[#「カーチス」は底本では「カーチン」]の攻撃機隊の六隊四十二機に命令して、那智、羽黒の艦上に襲いかからしめた。
これを見て取った我が竜城《りゅうじょう》に属する三六式戦闘機隊は、二十四機が翼を揃えて、見る見る裡《うち》にカーチス機隊の上空を指して急行した。
敵のボーイング機隊が、北方に流れる浮雲《うきぐも》の中から現われて、これを圧迫する態度を示した。
その隙に大航空船メーコン号、ラオコン号の側面に我が飛行艇隊が近づいて行った。メーコンとラオコンとの艦腹《かんぷく》に開く強力なる機関砲は、鼻を並べて、殷々《いんいん》たる砲撃を開始した。
日米両艦隊の戦闘は、いまや順序を捨て、予測を裏切り、いずれが進むか退《ひ》くか、俄《にわ》かに計り知ることの出来ない疑問符号に包まれた。
胸をふさぐような煙硝《えんしょう》の臭い、叫び声をあげて擦《す》り脱《ぬ》ける砲弾、悪魔が大口を開いたような砲弾の炸裂、甲板《かんぱん》に飛び散る真紅な鮮血と肉塊《にくかい》、白煙を長く残して海中に墜落してゆく飛行機、波浪《はろう》に呑《の》まれて沈没してゆく艦艇から立昇る真黒な重油の煙、鼓膜《こまく》に錐《きり》を刺《さ》し透《とお》すような砲声、壁のように眼界を遮《さえぎ》る真黄色の煙幕、――戦闘は刻々に狂乱の度を加えて行った。
その頃、米国艦隊の主力は、十六隻の単横陣《たんおうじん》を作り、最も後方にいたが、漸《ようや
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